帰国は深夜

電車の中は、冬のコートのにおいがする。つんとつめたい表皮の内側に、ちょっとすえた汗のにおい。寒い日本はやさしい。

羽田空港を出て京急に乗って、品川でJRに乗り換えたら電車が止まっていた。仕方なく精算して外に出ようとしたら改札の係員口でみんなキレてる。振替切符出すのになんでこんなに待たされるんだ。だいたいアナウンスもないじゃないか。もういいわよ、切符置いてくわ。俺なんて10分も待ったぞ。やいのやいの。
駅員さんがルーティン的に帽子を脱いで、はあ、すいません、と言う。外に出るとタクシー乗り場に長蛇の列。 寒い日本は賑わい。

気持ちがごちゃっとしたのでちょっと歩こうと思いついた。どのみちこのタクシー待ちの列だ。大通りを少し歩いてから拾った方が早かろう。
ものの5分で空車のタクシーが何台も通り過ぎていった。みんな、歩けばいいのにねえ、と思いながら、足を止める気にならなかった。寒い日本、気持ちいい。酔っぱらってもいないのに歩きたい気分だ。
電車を待たされると5分でも苛立つのに、夜を歩いていると5分じゃ足りないのはなんでなんだろう。

右手にスーツケースを並走させながら、国道15号線をずんずんと歩く。
飛行機の中で読んだ本、書いた日記、観なかった映画。今回の出張の記憶、飲み会の記憶。明日からの予定。ポケットの中のバーツ・コイン。ラオスで食べた麺は米粉とタピオカ粉で、タイで食べたやつは普通の小麦粉のミーだった。冬はひたひたと近寄ってきているけれども、つんと鼻に抜けるわさびのような日本の冬が愛しくてたまらん。通り沿いにBMWが燦然と輝いてる。
散らかった頭の中を整理することもなく、ただずんずんと歩く。スーツケースの車輪はぐるぐるとアスファルトに鳴る。
マンホールの下から電車の駆けるゴーという音。浅草線だこれはきっと。

歩き始めて30分もしたら背中にしっとりと汗をかいていた。
15号線沿いには店の一軒も開いていなくて、まっすぐ帰ればいいのになんだか寄り道をしたい気分になってしまった。泉岳寺の寺はひっそりと息をしずめている。討ち入りまであと2週間だ。47人分の息がしずまっている。
泉岳寺の駅を越えてやっと魚民の看板が見えた。

通りを渡ろうとして信号を待っているとき、裏通りを覗いてみたら一軒だけお店が開いていた。魚民をやめて、その店で晩酌セットを頼んで、エビス生を飲みながらこれを書いている。私はウォーキング・ハイになっているから外国から帰ってきたばかりなんですよーなんて話しかけたりして、へーそうなんですかってお店のマスターが出してくれたのがスパイシーな生姜たっぷりの厚揚げだった。なんて美味しいんだろうと思った。シメにうどんを頼んだら油が張っていて、泣きたくなるくらい熱かった。

少し開いた窓のすき間から冬の風が入ってくる。左頬だけ、肌がちりっと凍ってつめたい。Hello Orange Sunshineが流れてる。店の前に見える自販機だけが明るい、深夜零時半。

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記憶外たち

「あれ、何かがへんだ」
と、思っていたのは、ただ気力がわかないというより、もう外に行くことに、飛行機に乗ることに、異文化の中で自分の核となる何かを研ぎ澄ませることに、汗をかいたり大声でしゃべったり、違う言葉に脳を切り替えたり、よいしょという掛け声を要するたくさんのことに、疲れていたのだった。

だから今回も嫌々飛行機に乗ったのだけど、タラップを降りてぎゅうと凝縮した熱帯性アジアのにおいに、湿気と埃とちいさな焦りと、少しだけ緑の混じった重めのにおいに、その生ぬるさに、胸を突き通すような懐かしさを覚えて、疲れの予感は吹き飛んだ。

最初のにおいは覚えているもんだと思う。その後は慣れてしまう細かなにおいの構成要素ひとつひとつに、皮膚の外側にあるいちばん鋭敏な表が反応するようになっている。ふれる、ということの、はじめてである。
皮膚は摩耗し象の皮になり、そのうち樹皮になり、今は水も吸い込まない。が、ときおり何かの拍子でやわらかくなったりする。風のように記憶が吹き込むのはそのときである。

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私が初めてプーケットに来たのは2005年のスマトラ沖の津波の直後で、しかも父親と一緒だった。
私たち親子を案内する島のガイドはおっさんで、「やー、ご夫婦だと思いましたよ」などと共犯感を乞うような卑屈な笑みを顔半分にニヤリ浮かべて近寄ってきて、そのときはなんてつまらない冗談を言う人なんだろうと思ったのだが、彼が言っていたのは冗談ではなかったのだと、今になってみると分かる。この島には、若い女を買ってバカンスに来る初老のおやじは数多い。

というようなことばかり記憶の内に湧いてある。記憶は過去になり、記憶外は抹消される。当時のおっさんとのやり取りは抹消されていたはずの記憶外から記憶のうちに戻ってきて、まっとうに私の過去をやっている。今のところは。

あと、プーケットの島の真ん中にこんもりと盛り上がった緑の山道を行きながら、この濃い緑の中に深い悲しみがうずまっているのだと思ったことを覚えている。これはずっと覚えている。その頃は悲しみの定義も知らなかったが、初めて聞いた津波の話や可視化されたその爪痕はけっこう衝撃だった。

はじめてのことを、忘れないで生きていられたらいろんなことに気づくのになあと思う。
でも、忘れないままで生きていたら前に進めない気もする。たくさんのことを忘れていく権利がある。忘れられてしまったはじめてのことが、ふとした瞬間に記憶の隅で拾われて、よみがえったりもする。必要なときに必要な分だけ呼び出すから、と、その記憶外たちに声をかけるが、向こうからやってきてくれるのかもしれない。前を向いて今を構成するものの中を生きていたいと切に願う。

午後の重たい空気が皮膚を燻し、その中にあるものは行き場を失っている。午後という時間はどうしてこうも追い詰めるのだろう。感覚は鉛のように鈍く沈み、思考は行き止まり、内臓もあちこち八方ふさがりである。
皮膚を取り消そうと水の中にそっと差し入れる。内と外の境は消え、身体の中に風が通って楽になる。構成要素はすべて同じなのである。

海の効用。プールも風呂も、海の模倣としての。

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節酒と復帰と内省

「内省的な人間は、酒を飲むことで内省のレベルを下げることができる」
とは、節酒期間に出会った人の名言ですが、内省的な人間は、酒を飲みすぎるとふたたび内省します。そして内省からの正当化へと、内省人間の飲酒思考は悪循環なのか好循環なのかわからない。

節酒期間は半年間。長いようで、過ぎてみればあっという間の182日でした。
数えてみると、全く酒を飲まなかったのが89日。軽く飲んだのが93日。なんだよ、半分飲んでるじゃん。(いやでも量は少ないからね)

なぜ節酒していたかというと肺の病に罹って投薬が必要になり、薬の副作用で肝臓への負担を減らす必要があったからなのですが、おかげで無事に薬を飲み終え、肺の病は一応治ったということのようです。ご協力・ご心配、どうもありがとうございました。
最終検査では肝・腎機能にも異常なし。万歳三唱、さあ飲もう。

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節酒していると酒の席でもコントロールが利いてしまう。コントロールが利くというのはよいことも悪いこともある。現実世界の間の断絶感はなくなる。夜の記憶が昨日の昼と今日の昼の橋渡しをしている。

夜の持つ断絶感は、それはそれで大事だったのだ、と今は思う。強制的にでも、覚えていないことがあるというのは必要なのだ。

ふつうに暮らしていると、日々見聞きしたこと、しゃべったこと、遭遇したできごと、食べたもの、出会った人びとは記憶の片隅からぽろりぽろり、こぼれ落ちていく。日記の上に書いたものだけが残る。覚えていたいものをなくし、覚えていたくないものを抱える。かたちのないものを抱え続けようと目をかっぴらき続けて生きているのは、疲れる。適度なリリースは必要である。大事なものが残ればよいのだ。

大事なものを選ぶのは大変だ。でも酒を飲むと、大事なものかそうでないかを、酒が選別してくれる。無意識を信用するか、酒を信用するか、と書くとまるで信仰のようで危ない人間だが、なんてことはない、人生の節目節目にいいこと言ってくれる大事な友人みたいなものだ。あんまり正しくないことを正しく伝えるダメ人間の友人だ。

というわけで、悪い友人を信用するダメ人間界へ戻ってまいりました。適度に記憶し、適度に忘れ、日々を生きてまいります。めっきり弱くなりましたので、みなさまお手柔らかにお願いいたします。いやまじで。

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旅の反省文(ラスト)

旅は楽しいこともあるけれど、旅に出たからといって、手に入れられることばかりじゃない。

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楽しむことと引き換えに安定を失い、
タフさと引き換えに、足は太くなり、
自由と引き換えに孤独を引き受け、
生き延びるのと引き換えに、現実を失う。

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ラテンこぼれ話(酒)

酒にまつわるいろいろ。

飲みすぎたせいで、

キューバではナンパし(ナンパされ)、

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ニカラグアでは舟に乗り遅れそうになり(目指すはオメテペ島)、

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ボリビアでは喧嘩し(二日酔いで到着した宿で)、

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チリでは超生臭いスープをすするはめになり(海とのセックスと名付けたよ)、

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旅の反省文(その12)

旅人の資格その12.帰ること

ピーターパンって、どういう風に終わるか、知ってますか?

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考えてみると、よく知らない。覚えているのはピーターがフック船長をやっつけて、ウェンディたちを奪回するところまで。

えーと、その後、ピーターはネバーランドに残るんだっけ?残るよね、さすがに。
(ってか、なんで帰らないんだろう?)
で、ウェンディたちは帰るんだよね?たしか。さすがに帰るよね。
(でもどうして、帰るんだろう?)

いや、まさか、「ウェンディはピーターと結婚を誓って、ネバーランドに残り、ふたりは仲間たちに囲まれて幸せに暮らしました」
・・・なわけないよなあ。
気になる。

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旅の反省文(その11)

旅人の資格11.生きる

下山の日の出来事さえなければ、何の変哲もない1週間のトレッキングだった。

 

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下山の朝は雨だった。ゴンドワナ大陸の時代から変わらずにここの場所にあるという、太古の山・ロライマに、しんしんと太古の雨が降る。

山の上を覆う岩の道は、この世の果てのような黒檀色をしていて、たくさんの凸凹があった。深く裂けた凹の淵は雨を溜めて、雨の弱まったひとときに透明な空を映し出す。覗き込むと私の目がふたつ、こちらをじっと覗いていた。深淵は、女性器の形をしている、と私は気づく。

降り続く雨のために、ちいさな沢は滝となり、轟音をあげて流れ落ちていた。滝の中に留まる岩を見つけてしっかとつかまえる。心臓発作でも起こしそうな冷水の中を、そろそろと重心をうつしながら降りる。気を抜かずに、丁寧に。
いくつかのキャンプを越えて、増水した川を即席のカヌーで渡ると、いつの間にか雨が上がっている。
雨上がりの日射しに焼かれながら最後の丘を越えたところにベースキャンプがあった。初日にテントを張ったのとおなじ場所だ。ここで荷をおろし、川に飛び込んで5日ぶりのシャンプー。明日には、町へ帰る。

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旅の反省文(その10)

旅人の資格10.孤独

「あんまりだれかを崇拝したらほんとの自由はえられない」っていうけれど、自由の崇拝は孤独への依存だと、私は思うんだ。スナフキン。

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自由っていうのは、匿名性への脱出のことだ。
「だれもしらない町へきた」「私のことを、みんなしらない」

Into the Wildで、主人公のアレックスは旅の初めに名前を捨てる。 自由を求め、孤独を求め、誰も知らない町から町へ、アメリカを北上してアラスカに行き着く。

世界を訪ねて2年間。電話もなし、プールもなし。ペットもなし、たばこもなし。僕は自由だ、究極に自由だ」
「僕は過激派、耽美主義の冒険者。故郷は旅の内にのみ」

“Two years he walks the earth, no phone, no pool, no pets, no cigarettes. Ultimate freedom. An extremist. An aesthetic voyager whose home is the road”

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ラテンこぼれ話(カーニバル)

ロドリゴが言ってた。
「カーニバルのことは、カーニバル限りのひみつ。っていうことわざがあってだな(We say ‘what happened in carnival stays in carnival’, haha)」
「へえ、さすがブラジル人」
「なんでもありなんだよ、俺らのカーニバルってのは」
うそかまことか。

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