今のところ、ギアナ三国、バルト三国、コーカサス三国という、三国シリーズを三パターン経験してみたのだが、三ヶ国をいっしょくたにしてはいけないなと思ったのがコーカサス三国(中央アジア)、三ヶ国のグラデーションを肌に感じながら南下したのがバルト三国(東欧)、旅のハードコアさゆえにあまりまともなことを考えられなかったのがギアナ三国(南米)だった。
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4-デンマーク(どんぶり?)/Denmark
私はいままで訪れた場所で出来ている。その集合体を記憶というのはあまりにもったいない気がして、コペンハーゲンの昼下がりを歩きながら、皮膚のひだに入り込んだままのほかの町のにおいをそのままにしていた。なにも動かないように。なにも感じさせないように。すべてすきとおってからだを素通りしていくように。
最近よく思うのが、言語化されていないモヤモヤふかふかとしたものを、それは感情だったり会話がはだにまとっている空気だったり自分の外縁そのものだったりするのだけど、それをことばのかたちにしてしまうともう二度と、元のモヤモヤふかふかには戻れない。だから言語化は、初雪に刻印する足あとのように、雪の平面性やそのしずかな純正さを破壊するものでもあり、あたたかい夢が冬の朝にサックリ切られるような。そんな感じにおもえた。
「それ」を言葉のかたちにしてしまうのはとてももったいない、それはいましかここにないもの、もしかしたらあの朝のまどろみのようにこのまま保持していられるかもしれないもの、流れて消えてしまうならそれでもいいもの、というような気持ちが自分の内側ですごく流行っていた。