月別アーカイブ: 2015年4月

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Sadar Ghat / 渡し舟

友人が来バすると私はいつも、ダッカの南端を画するこの川で渡し舟に乗せる。オールドダッカはブリゴンガ川で行き止まりになっていて、渡ったところからダッカの隣町になるのだ。
連れてこられた友人はみな口をそろえて「やばいね」「やっばいね」と言う。私も最初に来たときはやばいな、やっばいな、と心中唱えていたはずだけど、もうそのやっばさを忘れてしまったので、一緒に追体験する。たぶんそのやっばさは、渡し舟という彼らの生活の一部にフィクション性があるということなんだと思う。たぶん。いや、ほんとかな。
だってある人は「昭和の日本を見ているようだ」と言うし、ある人は「将来ここはどうなっているのだろう」と言うし、「舟が虫のようにみえる」と言うし、「まるでアトラクションのようだ」と言う。「これで毎日通勤してるんだね」とか「5分や10分で渡れるんだね」とか「あ、あのおじさんは買い出しの帰りかな」とか言う。それからみないつも口をそろえて「どぶのにおいがきつい」と言う。

私はよく桜島のフェリーを思い出す。錦江湾を桜島に渡るフェリーはきっかり15分で、船はもっとたくさんの人が乗れて中に立ち食いうどん屋さんもあった。だから船自体は全然違うんだけど、なんだかその生活感の中にある非現実性を、対岸にたどり着いた接岸時の、カチッと違う場面に切り替わる平成の日本での不思議な感覚を、思い出しながら一緒に「どぶのにおいがきつい」と言う。

 

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Place for lunch I frequent / 行きつけのカレー屋

ポッダというのはおそらくバングラデシュのカレー特有の、野菜をマッシュしてカラシ油でこねてまとめた前菜だ。行きつけの店では団子状になって出てくる。
えび、魚、小魚、青菜、トマト、ナス、ポテト、バナナ(あまくないやつ)、なんてのがまるっこくぽこぽこと皿に盛られて、出てくるだけでなんだか楽しい気持ちになる店に、私はときどきお昼を食べに行った。

お昼早く着きすぎるとポッダはまだ8種勢ぞろいしていなくて、遅く行き過ぎると人気で売り切れている。2時とかの程よい時間帯に行って厨房を覗き込み、やいのやいのしゃべりながらポッダを出してもらうのがとても愉快だ。おまえはやせぽっちなんだからもっと食え、食えと(ほんとうはそんなに痩せていないけど)、ぺちゃくちゃしゃべりながらその日のおすすめのおかずを出してもらうのが愉快だ。夜がた店の前を帰っているとおかえりーと店に招き入れられてチャイをおごってくれたりするのも嬉しかった。

たとえ短期間でも住むことと、旅の途上に滞在することとの違いは、きっとこの行きつけ感と、名前を覚えてもらう感と、知っている人ができる感だ。逆にいえば、すべての旅が、心の逃げ場になるようにと祈りながら私はたくさんの町をすり抜けてきたのかもしれない。

ちなみにこの店の魚のさつま揚げ、通称クフタも、美味い。ビールがないのがほんとうにほんとうに悔やまれて、わざわざビールに合わせるためにテイクアウトするくらいに、美味い。

2015.3.12

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A tea stall I frequent vol.3 / 行きつけのチャイ屋3(平時)

火事で燃えた行きつけのチャイ露店が復活してた。まだ骨組みだけだけど、本日は家族そろって新装開店。生きるのだあすも:)

2015.3.9

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A tea stall I frequent vol.2 / 行きつけのチャイ屋2(火事)

行きつけのチャイの露店が燃えて青空になってた。2日前に火事でね、と店主のおやじがいう。たとえ店構えが空に消えてもチャイの味はいつもとおなじ、はなたれ小僧どもの絡みもいつもとおなじ。生きるのだ今日も。

2015.3.3

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A bar in a dry country / 変化の速度

バングラデシュに真っ暗で煙のもくもくする場末のバーがあるということは知っていたけれど、そのバーに女の私が足を踏み入れるとバー中のおとこが(バーにはおとこしかいない)振り向いて気まずいということも知っていたけれど、それはもう4年も前のことだった。
今日のバーはバーカウンターがあって煙のぬける音のほどよいこぎれいなバーで、私が入っていっても誰も振り向かず淡々と自分の酒を飲んでいた。イスラムの国のバングラ人だけど、淡々と自分の酒を飲んでいた。

2015.2.2

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Cooped-up in Dhaka / ボンボン・ディアスポラの憂鬱

4年前に初めてやってきたときから仲の良いバングラデシュ人の友人たちに、ボンボン・ディアスポラ連中というのがいる。
バングラデシュは独立してからまだ40年余の若い国だ。独立戦争の英雄世代は日本でいう団塊の世代で、彼らは国を作ったという自負を持って政官財界を回している。つまりバングラの富も人材も彼らが独占しているというわけだ。その富をもって、彼らは娘息子たちをイギリスに留学に出す。ある者はそのまま外に住みつき、ある者はディアスポラとしてバングラに帰り、中古車輸入か不動産ビジネスを始めて荒稼ぎする。

その娘息子世代がちょうど私と同世代の30前後だった。ひょんなことから一人と仲良くなるとその背後にあるアラサー・ディアスポラ世代の世界と芋づる式に仲良くなることになる。アメリカ人主催のホームパーティーなんかに行くとその中の何人かに出会う。ダッカは狭いからねえ、と、お決まりの挨拶。酒を飲む者もいれば飲まない者もいて、みな一様に、よく歌いよく踊る。
ICDDRBとか国際機関のインターンで20代の欧米人がダッカに来ると、彼らがダッカの流儀を教えてもてなす。新しいモダンなカフェができると彼らが発信する。たいていオーナーは外国帰りのボンボン・ディアスポラ仲間だ。

誘われてコンサートに行くと、90年代とか2000年代の欧米ビルボードチャートを飾った古くさいロックに彼らが喜び勇んで踊っているのを見る。ノンアルコールなのに、オアシスとかニルヴァーナとか果てはボンジョヴィまで、どうしようもなくダサいロックに思い出価値を付加して歌っているのを見る。
そしていつしか私は気づくようになる。ダッカに帰ってきた彼らは飢えている。あの広い世界に、あの輝く青春に、あの自由に、あの不安定さに、彼らは飢えている。
PhD取りに外国行こうかなとひとりが言う。俺ももう弁護士やめようかと思ってるんだよ、ともうひとりが答える。この街の窮屈さに、この街の保守性に、窒息しそうになりながら、この街のぬるさに、この街の気楽さに、この街の安定に、足を取られて動けない。どのみちもうすぐ結婚するのだ。どのみちもうすぐ家を継ぐのだ。どのみち僕らはここに戻ってくるのだ。私は痛みに似た共感をもって、彼らと一緒にノンアルコールのコンサートに歌う。諦めと前進はコインの表裏だ。どのみち私も東京に戻るのだ。

2015.1.23