旅の反省文(ラスト)

旅は楽しいこともあるけれど、旅に出たからといって、手に入れられることばかりじゃない。

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楽しむことと引き換えに安定を失い、
タフさと引き換えに、足は太くなり、
自由と引き換えに孤独を引き受け、
生き延びるのと引き換えに、現実を失う。

しばらく後遺症を引きずっていた。たぶん、今でも、まだ、ちょっと。
それはちょっとした病に似ていて、
ときどきわからなくなる。ここが現実世界なのか。それとも夢の中なのか。
音もなくすべり出す都バスの窓から。初音ミクの歌う深夜のコンビニのレジで。眠れない夜更けに実家の台所で、冷蔵庫にずらりと並んだたまごの10個に。
わからなくなる。ここはどこなのか。私は、誰なのか。

現実をどう取り戻したかというのはまた別の話として、
つまり旅をするということは、昨日を捨てるのと引き換えに明日を失うということなのだった。それはけっこう大変なことだった。

「じゃあ、それをわかっていたら私は旅をするのをやめたのかしら?」
そう心のうちに問いかけると、「そんなことはない」と返ってくる。
「ほんとうは、わかっていたでしょう?」と、もう一度問う。
何度聞いても、いつも同じ答えが返ってくる。
「それでも、旅をする」

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旅は、ちいさなよろこびだ。
旅は、ちいさなかなしみだ。
旅は、はじまりだ。旅は、過程だ。結末じゃなくって、ちいさな今の積み重ねだ。

旅は、道を外れることであり、迷子になることであり、そしてまた、道そのものだ。
旅は嵐であり、砂漠であり、大海原であり、船の甲板のオイルのにおいであり、赤土を照らす広い青空である。
どぶろく酒であり、喧嘩であり、夕暮れに訪れる金色の太陽である。
美しいものと、醜いものは、いつも隣同士にある。

旅は、ぺろんと裏返して身体の外に出した自分の心の中だ。
それは夢であり、現実であり、光であり、生きていくことであり、
信じることだ。自分の存在そのものを信じることだ。
明日の現実をそっくりそのまま失ってしまうかもしれなくても、それでも、
今旅をする自分を信じることだ。

私は旅をする。昨日を捨てるために、今を生きるために、ただ旅をするためだけに、旅をする。

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“¿Por qué viajan?” 「あんたたちはなんで旅してるの?」
“Viajamos por viajar”. 「ただ旅をするために、旅しているんだ」
“Bendito sea su viaje”. 「ご加護を」
– Diarios de Motocicleta