月別アーカイブ: 2017年3月

お天気雨

土地は、枠であるのだと思う。それ以上でもそれ以下でもない。

良く晴れた穏やかな午後に、海の見えるレストランにシーフードを食べに来た。ひなびた土曜の海岸通りにちいさく、一軒だけそこにぽんと置いていかれたような西欧風の建物があって、ロブスターが美味いという話だった。

タイルばりの床からは、潮を含んでむっとする湿気にさらされた漆喰のにおいがして、私はこのにおいを嗅いだことがあると思ったが確信が持てなかった。

海に面したテラス席からは赤や黄色のペンキで塗られた小さな帆船がみえ、おもちゃをばらばらと浮かべたような黒い海面にも見覚えがあったが確信が持てなかった。それほどに私の中にある類似の体験はごちゃ混ぜになっていて、場所というのはただその類似体験をごちゃ混ぜに放り込む、混乱した器でしかなかった。

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長居

(アビジャン)

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気がつくと時が流れていて、それは凝縮された時間のかたまりがジェットコースターに積載されて、身体の中をすごい勢いで通り過ぎていくような不思議な日々。

もう来ないかもしれない場所、もう会わないかもしれない人、本当はすべてのものはそうして定まらないままに流れているのに、でもしばらくそこにいると、同じ視線のうちに日々があると、ついその場所は当たり前のようにずっと動かずにあるもののような気持ちになってしまう。それはごく自然な遠い希望なのだと思うのだけど、

その遠い希望のせいで、ああ、あの時が最後だったのだ、と知るのはいつも、ずっと後になってからだ。それが最後の瞬間だったなんて、その瞬間にはもう決まっているのかもしれないのに、近視眼的に生きるほかない私たち人間には分からない。 続きを読む