記憶外たち

「あれ、何かがへんだ」
と、思っていたのは、ただ気力がわかないというより、もう外に行くことに、飛行機に乗ることに、異文化の中で自分の核となる何かを研ぎ澄ませることに、汗をかいたり大声でしゃべったり、違う言葉に脳を切り替えたり、よいしょという掛け声を要するたくさんのことに、疲れていたのだった。

だから今回も嫌々飛行機に乗ったのだけど、タラップを降りてぎゅうと凝縮した熱帯性アジアのにおいに、湿気と埃とちいさな焦りと、少しだけ緑の混じった重めのにおいに、その生ぬるさに、胸を突き通すような懐かしさを覚えて、疲れの予感は吹き飛んだ。

最初のにおいは覚えているもんだと思う。その後は慣れてしまう細かなにおいの構成要素ひとつひとつに、皮膚の外側にあるいちばん鋭敏な表が反応するようになっている。ふれる、ということの、はじめてである。
皮膚は摩耗し象の皮になり、そのうち樹皮になり、今は水も吸い込まない。が、ときおり何かの拍子でやわらかくなったりする。風のように記憶が吹き込むのはそのときである。

IMG_7563

私が初めてプーケットに来たのは2005年のスマトラ沖の津波の直後で、しかも父親と一緒だった。
私たち親子を案内する島のガイドはおっさんで、「やー、ご夫婦だと思いましたよ」などと共犯感を乞うような卑屈な笑みを顔半分にニヤリ浮かべて近寄ってきて、そのときはなんてつまらない冗談を言う人なんだろうと思ったのだが、彼が言っていたのは冗談ではなかったのだと、今になってみると分かる。この島には、若い女を買ってバカンスに来る初老のおやじは数多い。

というようなことばかり記憶の内に湧いてある。記憶は過去になり、記憶外は抹消される。当時のおっさんとのやり取りは抹消されていたはずの記憶外から記憶のうちに戻ってきて、まっとうに私の過去をやっている。今のところは。

あと、プーケットの島の真ん中にこんもりと盛り上がった緑の山道を行きながら、この濃い緑の中に深い悲しみがうずまっているのだと思ったことを覚えている。これはずっと覚えている。その頃は悲しみの定義も知らなかったが、初めて聞いた津波の話や可視化されたその爪痕はけっこう衝撃だった。

はじめてのことを、忘れないで生きていられたらいろんなことに気づくのになあと思う。
でも、忘れないままで生きていたら前に進めない気もする。たくさんのことを忘れていく権利がある。忘れられてしまったはじめてのことが、ふとした瞬間に記憶の隅で拾われて、よみがえったりもする。必要なときに必要な分だけ呼び出すから、と、その記憶外たちに声をかけるが、向こうからやってきてくれるのかもしれない。前を向いて今を構成するものの中を生きていたいと切に願う。