月別アーカイブ: 2016年10月

ベトナム4

地方出張からハノイに帰る飛行機が、暗く寝静まる中、一冊の本をむさぼるように読んだ。ベトナムに来る前に数日立ち寄った東京で、二日酔いの頭をかかえながらかっさらってきたツンドクの本のうちの一冊だ。いつ買ったかも覚えていないベトナム戦争の本。そこには、

「アジアの小国がまたドンパチやってやがる」くらいのイメージしかないのさ、アメリカの中の人々にとっちゃ。

みたいなことを書いた一説があった。ここまでもう20年も、中国だ日本だ韓国だベトナムだインドシナだと、たいして違いの分からないアジアの国々に、大戦だ独立だ反共だと、もろもろの戦争が起こっていたようだが、それはしょせんニュースが伝える遠い地の出来事に過ぎない、というようなことだ。

ああ2016年、今も同じだなと思う。日本の中の人々にとっちゃ、中東のドンパチがそれだ。「もうここ20年もクウェートだイラクだアフガンだレバノンだシリアだと、違いの良く分からない中東で、フセインだビンラディンだアサドだテロだISだと、もろもろの戦争が起こっているようだ」が、「たいていはニュースが伝える遠い地の出来事に過ぎない」まま、日々消費されていくのみだ。情報が発達しても人間の想像力は発達せず、いやむしろ退化するのかもしれない。

img_5715-2

飛行機の中では読み終わらなかったので、ハノイに戻ってからも暇を見つけては読んでいた。さらさらと雨の降る午後にジュース屋の軒先で読み終えて、正気と狂気の境界にある、かたい部分にしなやかに手を伸ばす寓話的な緊張感に、多少酔ったようになりながら、ふうと息をついて本を閉じた。この本が書かれたのは64年で、ベトナム戦争はそれから10年続いた、というあとがきに、小さな絶望を感じて、雨脚の弱まったコンクリートの車道を見つめた。コンクリート舗装の下の、50年前のベトナムの土を想像してみるがうまくイメージできない。

私はもう一度本を開いた。扉には「何があっても応援してるから」裏表紙には「おまえには世界が似合う」と書かれている。

この本がよもや、自分が海外に出るときの貰い物だったとは思わなかった。というか、貰い物であるということもすっかり忘れていた。ベトナムで読み始めてしばらくしてこの手書きコメントを見て、この本をもらった東京での飲み会のことを思い出した。その飲み会のぐだぐださと多幸感と、小さな安全の感覚を思い出した。飲み会の一週間後に私はベトナムにいて、麺をすすったり、孵化する直前のアヒルことゲテモノのホビロンを食べたりしたのだ。それらに大げさに感動して、つよく東京からの解放を感じたのだ。もう、6年も前のことだ。

あのときの飲み会にたくさんの勇気をもらっていたのだということを、6年を経た今ももらい続けているのだということを、さっとまるで当然のことのように、ずっと知っていたことであるかのように思う。6年もこの本をほったらかしにしていたくせに、書いてもらったコメントもずっと忘れていたくせに、ついでにもう一冊もらった本もまだ読んでいないくせに、でかい顔してそう思う。

img_5730-2

帰り道ぼーっと歩きながら、露店につまみ食いをしようと押し入った。店先、肉まんと同じ場所に、無害な顔をした白い卵がいくつか置かれていた。私は6000ドンを払ってその卵の中からにゅるっと這い出たホビロンを食した。6年前はその内臓や顔や羽の原型にウオッと思ったものだが、今回の感想はちょっと見た目エグイけどコクがある卵だなくらいのものであった。みずみずしい感動が失われた代わりに、今の私の中には平らな器ができたのだと思う。10年の歳月、6年の歳月。おとなになった旅。

ベトナム3

ネギだくフォー屋さんでいつものようにフォーガーを頼み、満腹になって支払いを済ませるときに、覚えたての「んのーん」(美味しい)を使う。

店を切り盛りするおやじとおばはんは夫婦と思われる。おばはんは愛想よく笑いながら何事かをまくしたて、おやじはむつりとしながらじっと頷く。私もつられて頷きつつ、なにかコミュニケーションをとりたくなって自分を指さしながら「ジャパン」といってみる。

すると、おやじの顔がぱっと明るくなり、ずっと言う時を待っていた、というように、「しんぞー」と声を張り上げる。

「??しんぞー?」

「ジャパン、しんぞー。ビエットナム、ホーチ・ミーン」

「アー、イエス、しんぞー・あべ、ね」

と答えつつ、それは違うだろうよと思う。さすがにホーチミン氏とは違うだろうよ。

日本における近代日本の建国の父的な人って誰なんだろう。坂本龍馬?いやそれはさすがに夢見がちだろうかね。などと思いながら商店でビールを買って帰宅した。

img_5580-2

彼はその後も私を見ると「しんぞー」というので、3回目に私は自分から「しんぞー」と名乗るようになった。違うだろよ、わたし・・・

ベトナム2 

ベトナム(ハノイ)版つけ麺と聞くブンチャーなるものを食した。昼ごはんに食べることが多いというこの風変わりな名前の麺は、その中身も風変わりだった。

まず大きなどんぶりに人参と大根の浮いたコンソメスープのようなものが出てきたのでこれがつけ麺の汁だと思ったら、実際そうだったのだが、すすってみて違和感。つめたく、酸っぱいのである。酸辣湯麺のような酸っぱさではない。酢漬けの味である。酢漬けを薄めた液体の底には細かくニンニクが沈み、ぽちぽちと浮かぶのは刻み唐辛子。人参をすくい上げてかじると淡白なキムチのようである。

それからふだんは生春巻きの間に入っている春雨みたいな米粉の麺が、ほぐされることもなく、もりっと供されて、それをこの酢漬けスープで溶いてほぐし、上にパクチーやらシソやらオオバやらレタスやらを盛る。最後にバーべキュー肉と肉団子を乗せて、ほぐれた麺と一緒にすする。バーベキューの時の脂っぽいにおいが服の表面に乗り移る。

img_5594-2

麺を食っているという感覚はなかった。代わりに、生春巻きの中身を広げ、酢漬け野菜とコリアンタウンのプルコギを乗せてむしゃむしゃ食べているという感覚があった。ああ、なるほどすでに私はこれを韓国料理と認識しているのだな。

なかなか新しい食べ物であった。

ベトナム1

ニャクニョク!!とすごい剣幕で何かしら断られ、それは街路に出た露店の大釜を覗き込んでいた私に対する完全なる拒否であったにもかかわらず、私はそれさえもなんとなく幸せな気持ちだった。

埃と糞尿の入り混じった街路のにおいはすっかりしずまり、停滞した風が夜のにおいをかぶせ、しかし露店から立ち上るのはまだ熱っぽい湯気で、この町の熟した夜感が、それだけで私をシュワシュワと泡のように満たしていく。

ここは、たくさんのなんとなくで構成されている。なんとはないにおい、なんとはない気持ち、なんとはないワクワク、ときめき、夜のちょっとだけ悪い風。私の表皮を取り囲むたくさんのなんとなくに研ぎ澄まされて、私はやっと、確固としたものを見つける。それは記憶だったり、言葉だったり手触りだったり、いや単純な喜びだったりする。

ベトナムはハノイ風つけ麺をあらわす「ブンチャー」というものに興味をひかれて夜の街に歩き出したものの、肝心の単語「ブンチャー」を忘れてしまった。仕方なしに、しらみつぶしに街角の大釜を覗き込んでいたら、激しい勢いで叱られたというのが冒頭のニャクニョク!!だ。

大釜の中には明らかにスープが煮えたぎっており、近くには刻んだささみ状の鶏肉がある。ここは確実にフォーガー(鶏のフォー麺)屋さんであるのにも関わらず、そこの小母さんが「フォーガー?フォーガー?」と馬鹿の一つ覚えで繰り返す私を完璧に追っ払ったのは、なんだろう、単純に通じていないのか嫌がられたのか?それとももう店じまいとか?

 

こんなこともあるよなあ、と私は車道に降りた。側溝に泥っぽい水が溜まっているが、夜闇に沈んでその粘度はたしかではない。私の鼻はその側溝にドブのにおいを探し、かすかに見つけてふっとほころぶ。ベトナムの夜の街の、夜っぽいにおい。

img_5579-2

角を左に曲がって小さな路地を入ると、白い逆光にこうこうと照らされた小母さんが、道に座して煙草のボックスを積み上げている。小母さんの後ろの光のもとに、ふたたび大釜を見つけた私は、フォー?と聞く。までもなく黄色いのっぺりした看板に、「フォー・ガー」と書いてある。

大釜を覗き込むと今度の小母さんはにこやかに笑ってどんぶりを取り出す。ついでに5万ドン札を取り出す。250円だ。もらった。

ラッキョウの柄やエシャロット、アサツキなどのネギ類の乗ったネギだくフォーは、出汁がさっぱりあざやかで、ううんとうなる私を道にじかに置かれた扇風機が吹き飛ばす。ゴオッというこぎみよい音。ふくふくと満腹感がふたたび泡のようなたしかな幸せを連れて、よし、ここまで書いたら私は腹を出し、ムーミンのように仰向けになってベッドに寝転がろう。

img_5574-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc