節酒と復帰と内省

「内省的な人間は、酒を飲むことで内省のレベルを下げることができる」
とは、節酒期間に出会った人の名言ですが、内省的な人間は、酒を飲みすぎるとふたたび内省します。そして内省からの正当化へと、内省人間の飲酒思考は悪循環なのか好循環なのかわからない。

節酒期間は半年間。長いようで、過ぎてみればあっという間の182日でした。
数えてみると、全く酒を飲まなかったのが89日。軽く飲んだのが93日。なんだよ、半分飲んでるじゃん。(いやでも量は少ないからね)

なぜ節酒していたかというと肺の病に罹って投薬が必要になり、薬の副作用で肝臓への負担を減らす必要があったからなのですが、おかげで無事に薬を飲み終え、肺の病は一応治ったということのようです。ご協力・ご心配、どうもありがとうございました。
最終検査では肝・腎機能にも異常なし。万歳三唱、さあ飲もう。

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節酒していると酒の席でもコントロールが利いてしまう。コントロールが利くというのはよいことも悪いこともある。現実世界の間の断絶感はなくなる。夜の記憶が昨日の昼と今日の昼の橋渡しをしている。

夜の持つ断絶感は、それはそれで大事だったのだ、と今は思う。強制的にでも、覚えていないことがあるというのは必要なのだ。

ふつうに暮らしていると、日々見聞きしたこと、しゃべったこと、遭遇したできごと、食べたもの、出会った人びとは記憶の片隅からぽろりぽろり、こぼれ落ちていく。日記の上に書いたものだけが残る。覚えていたいものをなくし、覚えていたくないものを抱える。かたちのないものを抱え続けようと目をかっぴらき続けて生きているのは、疲れる。適度なリリースは必要である。大事なものが残ればよいのだ。

大事なものを選ぶのは大変だ。でも酒を飲むと、大事なものかそうでないかを、酒が選別してくれる。無意識を信用するか、酒を信用するか、と書くとまるで信仰のようで危ない人間だが、なんてことはない、人生の節目節目にいいこと言ってくれる大事な友人みたいなものだ。あんまり正しくないことを正しく伝えるダメ人間の友人だ。

というわけで、悪い友人を信用するダメ人間界へ戻ってまいりました。適度に記憶し、適度に忘れ、日々を生きてまいります。めっきり弱くなりましたので、みなさまお手柔らかにお願いいたします。いやまじで。

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