月別アーカイブ: 2018年9月

2-イスラエル・パレスチナ(どこまでも)/ Israel/Palestine

Israel/Palestine. A few sunsets soaking my 25-year-old soul. From a hill in Jerusalem and from the beachside in Tel Aviv.

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その夕方、寄せては返す波の際にくるぶしまでひたりながら、きっとこの感覚はずっと忘れないだろうという予感があった。ということをたしかに今でもおぼえている。

私は25歳になったばかりで、就職目前だった。今夜私は帰国便に乗る。つまりこれは私の旅の終わりであるとともに、私のモラトリアムの終わりでもあり、さらに私の人生にあるもっと大きなものの終わりである、とかなんとか、大げさなセンチメンタルで胸をいっぱいにして、私は夕空の前に立っていた。

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東ヨーロッパを回る平凡な卒業旅行として始まった旅が、トルコを越えて中東を南下しているうちに何か特別な旅になっているという感覚があった。シリア、ヨルダンの乾燥した平原を下りながら、私はまるで身体に刻み込むように、シーシャの煙の流れてくる街角や、夜の屋上を満たす乾いたそよ風、バックギャモンの木箱の手ざわり、日差しにあおられたペトラ遺跡のピンクやバスの車体にこびりついた砂の街の色を、つぎつぎに記憶していった。

ここは狭間であるという、旅の中で明滅する木漏れ日のような感覚に、うっとりと身をひたし、どんどん、分厚い食パンを食い散らかすように急な坂を駆け降りるように歩を進めて、旅の道はどこまでもどこまでも、ひらけているような気がしていた。

 

テルアビブが最後の街だった。旅の友人と海辺で遊んだときにアイスクリームを買ったこと、宿の屋上でカレーをつまみに飲みながら流したジョンレノン、踊ったクラブの黒い壁、現地の友人と飲んだバーのよく効いた冷房、10年も経つと記憶は削られてだいたいそのくらいしか覚えていない。
でも、海辺でたむろする現地のおじいさんたちにプラスチックの椅子を借りたときに、交わした言葉はだいたいおぼえている。

「日本人のお嬢さん、空を見上げてごらんよ。あれは渡り鳥だよ」
「鳥たちはどこへ飛んでいくの?」
「地中海を越えて、アフリカへ行くんだ」
「アフリカ」
「わしらも渡り鳥になりたいなあ」
「私もです。どこまでも飛べるような。みんなそうでしょ?」
「どうかな?」

夕暮れのこっくりと濃くなってくる黄昏どき、鳥の渡る空と、足首を握りしめる波の表面とにはさまれて私は、出口があることに気づいた。ギイギイと出口を閉じた。それはこの黒ぐろとした波間のむこうにかすかに光って見える地平線のことかもしれなかった。またこの出口が入り口になるときに、平らな海と夕空を思い出すことでしょう。そういう気もした。

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1-コートジボワール(反転する家)/ Côte d’Ivoire

Côte d’Ivoire. The place I’ve stayed (and worked) the longest in West Africa. Enjoyed the hustle in the big city of Abidjan; the calm afternoons in the coastal villages; and the gigantic church in the capital Yamoussoukro. Food, dance, new hairstyle, tailoring Ivorian dress, and all the friends I have met (and work of course). Always missing them all. / 2013, 2017, 2018

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3度めのコートジボワールのことを思うと、まず住んでいた家のベランダのことを思い出す。あそこに座っているときに私はいったいどこにいたのだろうと考える。

まだ空の明るい夕方5時に、シャワーを浴びて、ベランダにソファを動かす。ソファの中にくるりとまるくおさまって、朝の間に作っておいたつめたい麦茶をひとすすり、2階から中庭を見おろす。痩せた鹿がのろく草を食んでいる。
庭にはまだ昼の名残りがあり、ただ風の中に、太陽の熟れたにおいがからんでいる。風も一緒に熟れている。小鹿の近くに座る掃除夫も、のろりと草の上で動かない。シャカシャカと西アフリカ的なリズムだけが遠く、流れている。私はあたりの空気の流れと同じくらい愚鈍に、借りた本を読んでいる。すこし昨日のことを思い出す。すこし未来のことを想像する。いまの自分を、空想の中で見る。また本の中に戻る。夏だなあと思う。何かがキラキラしている。何かよく分からないものが。

ソファは私の身体すべてをちょうどつつむ大きさなので、私は背を完全にもたせかけると、もういちど、まるくなって自動的に空を見上げる。白い空にうすくピンクがかかり始め、ぼんやり。そのうちに頭の中に滞留していた考えたちはうすくなっていき、昨日のことも明日のことも消えていく。私はただのたりと空を眺め、じいっとしている。空に小さな穴があき、夕暮れの空がほんのすこしざわめき始める。

黒い粒が一列、私の空をななめに横切る。すこしずつ数がふえて、さらさらと音をたてる流れになる。みんな同じ方向に向かっている。それは北の空の方角であろうと思う。じっと、身じろぎもせず、目をひらいて眺めていると、2001年の宇宙の旅がおとずれ、白い空に黒い星がまるで穴つぶのように空いているという時代ないし空間があらわれ、そこはどこでもないしどこでもあるのかもしれない。私は空が真っ黒に塗りつぶされるまで、コウモリたちの帰路を見る。

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アビジャンには去年よりも少し長く、また初めて旅で訪れたときよりはずっと長く、滞在していた。

期間は長かったし仕事があったので、その分、繰り返されることも多くてそれは私の時間の中のその期間が一時的に、日常に近づいているということで、退屈に対する不安と退屈に対する安心は表裏一体であって、億劫さは増していくようだった。だいたいのことは億劫さとの闘いであるように思い、ああそれは今までもそうであったしこれからもずっとそうである。むしろもっとそうである。というふうに気づく。

家は日常の象徴であり、ベランダは日常の中にある非常口であった。
コウモリの帰り終わった空は、ごうんと音を立てながら動いている。夕暮れどき空をひたしていた淡いピンクがじゅうじゅうとあぶられてまるで波のはじけるように、いっせいに紺に溶けたときに私は、動いているのは私のいる場所のほうだと気づく。

目がさめると、家はまるごとすっかり闇の中にしずんでいる。ちいさな2階の部屋に、ぼうっとオレンジ色の灯りがついていて、そのうす暗い灯りを頼ってスパゲッティをゆでた。ときどきふたりとか3人とかでワインを開けた。

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0-記憶の救出(訪れた118か国のこと)

今でも折に触れて旅をしている。アジアアフリカにいつつ、仕事での滞在とは別に、新しい街との対面や大がかりな移動を含んだひとかたまりの時間を旅というとすると、私はまだ旅をしている。もうそれは、前みたいに大きな旅ではないけれども。

コーカサス地方から東南アジアに戻ってきたが、アゼルバイジャンが人生118か国めで、その118という数字には意味はないのだが、もうだいぶ前から旅の記憶は混交して相互にやり取りを始めているのを知っていたから、今ある状態でとりあえずすくってフリーズさせてみるのも一興という気がしてきた。

コーカサスはロシアっぽくもありイラントルコその他中東イスラム圏っぽくもあり東ヨーロッパっぽくもあり騎馬民族っていうかシルクロードっぽくもあり、たしかにそれらの地域の影響をモザイク的に受けていて、私は混乱すると同時に、いつもどこかで懐かしい気持ちになっていた。アルメニアのエレバンの街角はすこしカザフのアルマトイに似ていた。懐かしさのまっただ中にぽかっと穴のように現れる記憶に、挟まってみると心地よく、気づくとまたひとつ下(なり上なり)のレイヤーにワープしていて、私はもういちど、アルマトイの街を追体験していた。フィジカルな移動の旅とともに、果てしないワープの旅を楽しんでいた。

潜った先の第一レイヤーには川が流れていて、私はその水面にあおむけになって、半分まどろみながらただ流されている。滝が近づいているが、すべり台のような滝のおもてに入る前に、睡魔のようなものにクンと後頭部を引っ張られると、また次の、第二レイヤーの川の上へ落ちている。空は青く照り、そのまぶしさに、空というのは私がさっき落ちてくる前の川だったということをすでに忘れている。でもすべてつながっている。ということは知っている。空をたどるとふたたび現実があるはずだということも知っている。

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たくさん行って分かったこと(今のところ分かっていること)

・世界は広いが私の生きている世界はせまい。

どれほどたくさんの場所に足を運んでそこに生きている人たちとしゃべって一緒にご飯を食べたり酒を飲んだり踊ったりなどしていても、仕事までしていても、通じ合う瞬間というのはあることはあるが、そこのものの見方にほんとうになれるというわけではない。

 

・私(たち)の「知っているふうな世界」はたくさんのパーツがまるごと欠落している。

アゼルバイジャン人が、アルメニア人からのジェノサイドがあったという話をする。その人は、アルメニア人がトルコ人からのジェノサイドがあったといっている、という話をよく知らない。そしてそれらを、まるごと私(たち)は知らない。

なにが本当のことかなんか突き詰めるとどこにいたって分からないけれど、本当かどうかというきっかけすら、知らない。パーツの欠落すら見えない。

 

・世界はどんどんランダム性を排除している。

すべての在り方が均質化しているというわけではないが、ランダム性をすこしずつ排除できるようになっている磁力がじょじょに増しているからランダム性を排除している。旅に出ることでランダムさの中を浮遊していることを思い出すことができると昔は思っていたけれども、もはやそうでもなさそう。旅にも予定調和があり、予定調和の割合は日に日に増している。良いとか悪いとかではない。10日前にどの町でどの車に乗っていくら払ったかが分かるし、なんなら忘れ物の問い合わせすらできる。ときどきUberを使うのがいやになって通りがかりのタクシーを拾う。

 

・世界にはやっぱりいろいろな人たちがいるっぽい。

でも、まったく違う人たちだと思うことはなくなった。(前はエチオピアの民族がくちびるに皿を入れるのとかみて意味不明だとか思って、「価値観は人それぞれ」とか言っていた)

(逆に、日本で従来慣れ親しんでいた(はずの)様式を意味不明と思うこともある。それは出発点の違いというかデフォルトがあるから余計そうなのかもしれないし、自分が日本にいなくてそう思っているだけなのかもしれない。「価値観は人それぞれ」とか言っている)

 

・同じ記憶で束ねたら、同じ場所になる。(世界はまるい)

ジョージアの山間とレソトの山間は隣同士だ。コートジの空とイスラエルの海辺はひとつなぎだ。インドネシアとマダガスカルは新旧だ。バングラでしばく茶とマダガスカルでしばく茶は同じ味がする。イタリアで一緒にいる人とミャンマーでも一緒にいる。カーボベルデはブラジルだ。

コーカサス3国を旅するとギアナ3国とバルト3国のことを思い出して歩くのでほとんど9か国を旅していることになる。というか私はほぼ百何十何か国をひきつれて旅している。記憶はバックパックの100倍重い。

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そういうわけで、多く旅したからといってなんの成長もないが、「今」から記憶を下っててきとうに書き残すようなことをしばらくやってみようと思った。毎週書いても2年半。重い。記憶は重いのだ。だから流れていく。

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