月別アーカイブ: 2015年11月

記憶外たち

「あれ、何かがへんだ」
と、思っていたのは、ただ気力がわかないというより、もう外に行くことに、飛行機に乗ることに、異文化の中で自分の核となる何かを研ぎ澄ませることに、汗をかいたり大声でしゃべったり、違う言葉に脳を切り替えたり、よいしょという掛け声を要するたくさんのことに、疲れていたのだった。

だから今回も嫌々飛行機に乗ったのだけど、タラップを降りてぎゅうと凝縮した熱帯性アジアのにおいに、湿気と埃とちいさな焦りと、少しだけ緑の混じった重めのにおいに、その生ぬるさに、胸を突き通すような懐かしさを覚えて、疲れの予感は吹き飛んだ。

最初のにおいは覚えているもんだと思う。その後は慣れてしまう細かなにおいの構成要素ひとつひとつに、皮膚の外側にあるいちばん鋭敏な表が反応するようになっている。ふれる、ということの、はじめてである。
皮膚は摩耗し象の皮になり、そのうち樹皮になり、今は水も吸い込まない。が、ときおり何かの拍子でやわらかくなったりする。風のように記憶が吹き込むのはそのときである。

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私が初めてプーケットに来たのは2005年のスマトラ沖の津波の直後で、しかも父親と一緒だった。
私たち親子を案内する島のガイドはおっさんで、「やー、ご夫婦だと思いましたよ」などと共犯感を乞うような卑屈な笑みを顔半分にニヤリ浮かべて近寄ってきて、そのときはなんてつまらない冗談を言う人なんだろうと思ったのだが、彼が言っていたのは冗談ではなかったのだと、今になってみると分かる。この島には、若い女を買ってバカンスに来る初老のおやじは数多い。

というようなことばかり記憶の内に湧いてある。記憶は過去になり、記憶外は抹消される。当時のおっさんとのやり取りは抹消されていたはずの記憶外から記憶のうちに戻ってきて、まっとうに私の過去をやっている。今のところは。

あと、プーケットの島の真ん中にこんもりと盛り上がった緑の山道を行きながら、この濃い緑の中に深い悲しみがうずまっているのだと思ったことを覚えている。これはずっと覚えている。その頃は悲しみの定義も知らなかったが、初めて聞いた津波の話や可視化されたその爪痕はけっこう衝撃だった。

はじめてのことを、忘れないで生きていられたらいろんなことに気づくのになあと思う。
でも、忘れないままで生きていたら前に進めない気もする。たくさんのことを忘れていく権利がある。忘れられてしまったはじめてのことが、ふとした瞬間に記憶の隅で拾われて、よみがえったりもする。必要なときに必要な分だけ呼び出すから、と、その記憶外たちに声をかけるが、向こうからやってきてくれるのかもしれない。前を向いて今を構成するものの中を生きていたいと切に願う。

午後の重たい空気が皮膚を燻し、その中にあるものは行き場を失っている。午後という時間はどうしてこうも追い詰めるのだろう。感覚は鉛のように鈍く沈み、思考は行き止まり、内臓もあちこち八方ふさがりである。
皮膚を取り消そうと水の中にそっと差し入れる。内と外の境は消え、身体の中に風が通って楽になる。構成要素はすべて同じなのである。

海の効用。プールも風呂も、海の模倣としての。

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節酒と復帰と内省

「内省的な人間は、酒を飲むことで内省のレベルを下げることができる」
とは、節酒期間に出会った人の名言ですが、内省的な人間は、酒を飲みすぎるとふたたび内省します。そして内省からの正当化へと、内省人間の飲酒思考は悪循環なのか好循環なのかわからない。

節酒期間は半年間。長いようで、過ぎてみればあっという間の182日でした。
数えてみると、全く酒を飲まなかったのが89日。軽く飲んだのが93日。なんだよ、半分飲んでるじゃん。(いやでも量は少ないからね)

なぜ節酒していたかというと肺の病に罹って投薬が必要になり、薬の副作用で肝臓への負担を減らす必要があったからなのですが、おかげで無事に薬を飲み終え、肺の病は一応治ったということのようです。ご協力・ご心配、どうもありがとうございました。
最終検査では肝・腎機能にも異常なし。万歳三唱、さあ飲もう。

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節酒していると酒の席でもコントロールが利いてしまう。コントロールが利くというのはよいことも悪いこともある。現実世界の間の断絶感はなくなる。夜の記憶が昨日の昼と今日の昼の橋渡しをしている。

夜の持つ断絶感は、それはそれで大事だったのだ、と今は思う。強制的にでも、覚えていないことがあるというのは必要なのだ。

ふつうに暮らしていると、日々見聞きしたこと、しゃべったこと、遭遇したできごと、食べたもの、出会った人びとは記憶の片隅からぽろりぽろり、こぼれ落ちていく。日記の上に書いたものだけが残る。覚えていたいものをなくし、覚えていたくないものを抱える。かたちのないものを抱え続けようと目をかっぴらき続けて生きているのは、疲れる。適度なリリースは必要である。大事なものが残ればよいのだ。

大事なものを選ぶのは大変だ。でも酒を飲むと、大事なものかそうでないかを、酒が選別してくれる。無意識を信用するか、酒を信用するか、と書くとまるで信仰のようで危ない人間だが、なんてことはない、人生の節目節目にいいこと言ってくれる大事な友人みたいなものだ。あんまり正しくないことを正しく伝えるダメ人間の友人だ。

というわけで、悪い友人を信用するダメ人間界へ戻ってまいりました。適度に記憶し、適度に忘れ、日々を生きてまいります。めっきり弱くなりましたので、みなさまお手柔らかにお願いいたします。いやまじで。

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