3-ギリシャ(午後の質感)/ Greece

Greece. Calmness in a narrow footpath in Athens. Craving-for-beer feeling in the middle of the small square in Halkidiki. Walking them in the late afternoon I felt somehow Greek, and it might just be my Greece-daydream.

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夕暮れ時、アクロポリスの丘の下では、淡い金色の日差しの内にとろとろと時が流れていた。

私はクリーム色の歩道をゆっくり歩いていた。路肩にいる男がキーボードでかなしげな調べを奏でていて、私の心は少しずつしずまっていった。ちびちびと、本当にちびちびと、歩を進めながら、その一歩一歩のすきまにキーボードの男がまるでひと粒ひと粒をぽろぽろと置くようにしているのに、合わせて、ぽろぽろと、しみじみと歩いていた。

歩道を縁どる茂みの向こうには高くパルテノン神殿が見えて、ゆるやかな坂が石畳張りで続いていた。途中まで登ると入り口があって観光客がずらっと並んでいた。夕日を見に来ているのだとわかった。ここまででいいかなとなんとなく思って、行かねばならないという気持ちに苛まれていない自分を発見した。

ゆっくり、まるで香りの濃いウイスキーをすするときのようにゆっくり、ちびちび、なめるようにこの夕暮れ時を味わっているうちに、私の中のどこかにふんわりとしたあたたかさが灯っていった。坂の上でははがきを1枚買った。
帰りの坂を下っていると、どこからか売り子がやってきてガイドブックを売りつけようとした。私はガイドブックではなく、彼がびらんと腕に垂らしているはがきの連なりの値段を聞いた。7枚ほどで1ユーロと言われたのでそれを買った。これではがきを8枚持っていることになった。

坂の下まで降りると、バラの花を一輪私に差し出す中年のおばさんがいた。さっきも彼女はバラの一輪を差し出して、あなただけにはタダよとほほ笑んでいたが、今はタダよとは言わなかった。日差しにあぶられて乾燥した石のにおいがした。
道を引き返すと物悲し気なキーボードの音がまだぽろぽろと流れていて、私は彼に、とてもありがとうと思ってそのとき持っていたたった10セントの小銭をケースに入れた。彼はThank you very muchと言って演奏を続けた。

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その夕方の私は街を散歩するだけでも一苦労なくらい疲れていて、ごはんを食べてないからなんじゃないかとハッと思い当たった。
そうすると、食べないともう動けないように思って、ガス欠になっているような気がして、呼び込みのおにいさんに誘われるがままにタベルナに入った。そこで小さいビールとタコの酢漬けを頼んで、これもちびちびとまたむしるように食べて、なんとなくほんわかとあたたまった気はするけど満腹でもないし空腹でもないという状態になると、私はプラカ地区に歩みを続けた。

石畳のクリーム色の背景に、同じようにクリーム色の岩がそびえたっていて、それが連なって丘の形になっているのがギリシャっぽかった。その前にタベルナの連なりがあり、どこも外にテーブルを出して、一様に真っ白なテーブルクロスをかけていた。真っ白なテーブルクロスがまた、ギリシャっぽいと思った。そんなことを考えながら、なになにっぽい、っていうのやめようよとも思った。

次に入ったのは、20時までハッピーアワーでビール生大1.7ユーロ、ワイン1.5ユーロというタベルナだった。私はしばらく迷ったのちにビールを頼んだ。そんなにおなかもすいていないなあと思いながら、お米を詰めたトマトを頼んでみた。
こうしたいわゆる旧市街的な、かわいらしい小道を歩きながら、空腹がいわゆる欲としてするどく湧き起らないのはあまりない体験だったので、私は自分の身体を心配した。

観光地らしい、パフォーマーのキラキラとした音が流れ、それがタベルナのテーブルクロスの端にまで届く。トマトは大きく、ナイフで切れ目を入れると、プッ…としずかにコメをこぼした。なんだか不思議な気持ちになって、私はもう一度、ゆっくりと、プッ…とナイフの先をさし込んだ。去年の同じころにバルト三国を旅した時のことを思い出した。あのときはこうして夜に出歩いて酒をあおることに心底からワクワクしていたものだなぁとまるで他人事のように思った。ひとりのきゅうとした感じもちょっとピリッと辛くておいしいもののように味わっていた気がすると思った。今回の旅で、ひとりでいられるのは今日だけだったから、何も感じていない私が、なおさらちょっともったいなかった。

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家まで歩く途中、旧市街から一本はみだすとそこは生活感のじんわりと溢れて汗じみた、トラムの走る町中だった。向こうからギリシャ正教徒の格好をした男がふたり歩いてきて、私はイスラエル/パレスチナに行ったときにエルサレムの正統ユダヤ教徒地区に入り、写真を撮りながら傍らにいたイスラエル人の友達に「あまり動物園みたいにしないでよ」とくぎを刺されたことをなぜか思い出していた。すれ違ってから少しして、考え直して、振り返り、暮れようとしている夕日に向かって歩く彼らの、ゆったりした黒服の後姿をシルエットだけ、そっと撮った。

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家に帰るとベランダから、うす紫色の空に引っかかる9割満月が見えた。向かいの丘に貼りつく家々から自らを引きはがすようにしてゆっくりと空を昇る。その軌跡を追っているうちに空はすぐ、藍色に変わり、9割満月は雲の中へ吸い込まれていった。

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2-イスラエル・パレスチナ(どこまでも)/ Israel/Palestine

Israel/Palestine. A few sunsets soaking my 25-year-old soul. From a hill in Jerusalem and from the beachside in Tel Aviv.

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その夕方、寄せては返す波の際にくるぶしまでひたりながら、きっとこの感覚はずっと忘れないだろうという予感があった。ということをたしかに今でもおぼえている。

私は25歳になったばかりで、就職目前だった。今夜私は帰国便に乗る。つまりこれは私の旅の終わりであるとともに、私のモラトリアムの終わりでもあり、さらに私の人生にあるもっと大きなものの終わりである、とかなんとか、大げさなセンチメンタルで胸をいっぱいにして、私は夕空の前に立っていた。

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東ヨーロッパを回る平凡な卒業旅行として始まった旅が、トルコを越えて中東を南下しているうちに何か特別な旅になっているという感覚があった。シリア、ヨルダンの乾燥した平原を下りながら、私はまるで身体に刻み込むように、シーシャの煙の流れてくる街角や、夜の屋上を満たす乾いたそよ風、バックギャモンの木箱の手ざわり、日差しにあおられたペトラ遺跡のピンクやバスの車体にこびりついた砂の街の色を、つぎつぎに記憶していった。

ここは狭間であるという、旅の中で明滅する木漏れ日のような感覚に、うっとりと身をひたし、どんどん、分厚い食パンを食い散らかすように急な坂を駆け降りるように歩を進めて、旅の道はどこまでもどこまでも、ひらけているような気がしていた。

 

テルアビブが最後の街だった。旅の友人と海辺で遊んだときにアイスクリームを買ったこと、宿の屋上でカレーをつまみに飲みながら流したジョンレノン、踊ったクラブの黒い壁、現地の友人と飲んだバーのよく効いた冷房、10年も経つと記憶は削られてだいたいそのくらいしか覚えていない。
でも、海辺でたむろする現地のおじいさんたちにプラスチックの椅子を借りたときに、交わした言葉はだいたいおぼえている。

「日本人のお嬢さん、空を見上げてごらんよ。あれは渡り鳥だよ」
「鳥たちはどこへ飛んでいくの?」
「地中海を越えて、アフリカへ行くんだ」
「アフリカ」
「わしらも渡り鳥になりたいなあ」
「私もです。どこまでも飛べるような。みんなそうでしょ?」
「どうかな?」

夕暮れのこっくりと濃くなってくる黄昏どき、鳥の渡る空と、足首を握りしめる波の表面とにはさまれて私は、出口があることに気づいた。ギイギイと出口を閉じた。それはこの黒ぐろとした波間のむこうにかすかに光って見える地平線のことかもしれなかった。またこの出口が入り口になるときに、平らな海と夕空を思い出すことでしょう。そういう気もした。

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1-コートジボワール(反転する家)/ Côte d’Ivoire

Côte d’Ivoire. The place I’ve stayed (and worked) the longest in West Africa. Enjoyed the hustle in the big city of Abidjan; the calm afternoons in the coastal villages; and the gigantic church in the capital Yamoussoukro. Food, dance, new hairstyle, tailoring Ivorian dress, and all the friends I have met (and work of course). Always missing them all. / 2013, 2017, 2018

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3度めのコートジボワールのことを思うと、まず住んでいた家のベランダのことを思い出す。あそこに座っているときに私はいったいどこにいたのだろうと考える。

まだ空の明るい夕方5時に、シャワーを浴びて、ベランダにソファを動かす。ソファの中にくるりとまるくおさまって、朝の間に作っておいたつめたい麦茶をひとすすり、2階から中庭を見おろす。痩せた鹿がのろく草を食んでいる。
庭にはまだ昼の名残りがあり、ただ風の中に、太陽の熟れたにおいがからんでいる。風も一緒に熟れている。小鹿の近くに座る掃除夫も、のろりと草の上で動かない。シャカシャカと西アフリカ的なリズムだけが遠く、流れている。私はあたりの空気の流れと同じくらい愚鈍に、借りた本を読んでいる。すこし昨日のことを思い出す。すこし未来のことを想像する。いまの自分を、空想の中で見る。また本の中に戻る。夏だなあと思う。何かがキラキラしている。何かよく分からないものが。

ソファは私の身体すべてをちょうどつつむ大きさなので、私は背を完全にもたせかけると、もういちど、まるくなって自動的に空を見上げる。白い空にうすくピンクがかかり始め、ぼんやり。そのうちに頭の中に滞留していた考えたちはうすくなっていき、昨日のことも明日のことも消えていく。私はただのたりと空を眺め、じいっとしている。空に小さな穴があき、夕暮れの空がほんのすこしざわめき始める。

黒い粒が一列、私の空をななめに横切る。すこしずつ数がふえて、さらさらと音をたてる流れになる。みんな同じ方向に向かっている。それは北の空の方角であろうと思う。じっと、身じろぎもせず、目をひらいて眺めていると、2001年の宇宙の旅がおとずれ、白い空に黒い星がまるで穴つぶのように空いているという時代ないし空間があらわれ、そこはどこでもないしどこでもあるのかもしれない。私は空が真っ黒に塗りつぶされるまで、コウモリたちの帰路を見る。

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アビジャンには去年よりも少し長く、また初めて旅で訪れたときよりはずっと長く、滞在していた。

期間は長かったし仕事があったので、その分、繰り返されることも多くてそれは私の時間の中のその期間が一時的に、日常に近づいているということで、退屈に対する不安と退屈に対する安心は表裏一体であって、億劫さは増していくようだった。だいたいのことは億劫さとの闘いであるように思い、ああそれは今までもそうであったしこれからもずっとそうである。むしろもっとそうである。というふうに気づく。

家は日常の象徴であり、ベランダは日常の中にある非常口であった。
コウモリの帰り終わった空は、ごうんと音を立てながら動いている。夕暮れどき空をひたしていた淡いピンクがじゅうじゅうとあぶられてまるで波のはじけるように、いっせいに紺に溶けたときに私は、動いているのは私のいる場所のほうだと気づく。

目がさめると、家はまるごとすっかり闇の中にしずんでいる。ちいさな2階の部屋に、ぼうっとオレンジ色の灯りがついていて、そのうす暗い灯りを頼ってスパゲッティをゆでた。ときどきふたりとか3人とかでワインを開けた。

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0-記憶の救出(訪れた118か国のこと)

今でも折に触れて旅をしている。アジアアフリカにいつつ、仕事での滞在とは別に、新しい街との対面や大がかりな移動を含んだひとかたまりの時間を旅というとすると、私はまだ旅をしている。もうそれは、前みたいに大きな旅ではないけれども。

コーカサス地方から東南アジアに戻ってきたが、アゼルバイジャンが人生118か国めで、その118という数字には意味はないのだが、もうだいぶ前から旅の記憶は混交して相互にやり取りを始めているのを知っていたから、今ある状態でとりあえずすくってフリーズさせてみるのも一興という気がしてきた。

コーカサスはロシアっぽくもありイラントルコその他中東イスラム圏っぽくもあり東ヨーロッパっぽくもあり騎馬民族っていうかシルクロードっぽくもあり、たしかにそれらの地域の影響をモザイク的に受けていて、私は混乱すると同時に、いつもどこかで懐かしい気持ちになっていた。アルメニアのエレバンの街角はすこしカザフのアルマトイに似ていた。懐かしさのまっただ中にぽかっと穴のように現れる記憶に、挟まってみると心地よく、気づくとまたひとつ下(なり上なり)のレイヤーにワープしていて、私はもういちど、アルマトイの街を追体験していた。フィジカルな移動の旅とともに、果てしないワープの旅を楽しんでいた。

潜った先の第一レイヤーには川が流れていて、私はその水面にあおむけになって、半分まどろみながらただ流されている。滝が近づいているが、すべり台のような滝のおもてに入る前に、睡魔のようなものにクンと後頭部を引っ張られると、また次の、第二レイヤーの川の上へ落ちている。空は青く照り、そのまぶしさに、空というのは私がさっき落ちてくる前の川だったということをすでに忘れている。でもすべてつながっている。ということは知っている。空をたどるとふたたび現実があるはずだということも知っている。

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たくさん行って分かったこと(今のところ分かっていること)

・世界は広いが私の生きている世界はせまい。

どれほどたくさんの場所に足を運んでそこに生きている人たちとしゃべって一緒にご飯を食べたり酒を飲んだり踊ったりなどしていても、仕事までしていても、通じ合う瞬間というのはあることはあるが、そこのものの見方にほんとうになれるというわけではない。

 

・私(たち)の「知っているふうな世界」はたくさんのパーツがまるごと欠落している。

アゼルバイジャン人が、アルメニア人からのジェノサイドがあったという話をする。その人は、アルメニア人がトルコ人からのジェノサイドがあったといっている、という話をよく知らない。そしてそれらを、まるごと私(たち)は知らない。

なにが本当のことかなんか突き詰めるとどこにいたって分からないけれど、本当かどうかというきっかけすら、知らない。パーツの欠落すら見えない。

 

・世界はどんどんランダム性を排除している。

すべての在り方が均質化しているというわけではないが、ランダム性をすこしずつ排除できるようになっている磁力がじょじょに増しているからランダム性を排除している。旅に出ることでランダムさの中を浮遊していることを思い出すことができると昔は思っていたけれども、もはやそうでもなさそう。旅にも予定調和があり、予定調和の割合は日に日に増している。良いとか悪いとかではない。10日前にどの町でどの車に乗っていくら払ったかが分かるし、なんなら忘れ物の問い合わせすらできる。ときどきUberを使うのがいやになって通りがかりのタクシーを拾う。

 

・世界にはやっぱりいろいろな人たちがいるっぽい。

でも、まったく違う人たちだと思うことはなくなった。(前はエチオピアの民族がくちびるに皿を入れるのとかみて意味不明だとか思って、「価値観は人それぞれ」とか言っていた)

(逆に、日本で従来慣れ親しんでいた(はずの)様式を意味不明と思うこともある。それは出発点の違いというかデフォルトがあるから余計そうなのかもしれないし、自分が日本にいなくてそう思っているだけなのかもしれない。「価値観は人それぞれ」とか言っている)

 

・同じ記憶で束ねたら、同じ場所になる。(世界はまるい)

ジョージアの山間とレソトの山間は隣同士だ。コートジの空とイスラエルの海辺はひとつなぎだ。インドネシアとマダガスカルは新旧だ。バングラでしばく茶とマダガスカルでしばく茶は同じ味がする。イタリアで一緒にいる人とミャンマーでも一緒にいる。カーボベルデはブラジルだ。

コーカサス3国を旅するとギアナ3国とバルト3国のことを思い出して歩くのでほとんど9か国を旅していることになる。というか私はほぼ百何十何か国をひきつれて旅している。記憶はバックパックの100倍重い。

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そういうわけで、多く旅したからといってなんの成長もないが、「今」から記憶を下っててきとうに書き残すようなことをしばらくやってみようと思った。毎週書いても2年半。重い。記憶は重いのだ。だから流れていく。

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ユルト、紐、2018

カザフスタンに来たところ、アスタナの街があまりに寒く、暖をとるために国立博物館に寄った。

そうすると歴史民俗ゾーンには先史時代の「黄金の間」なんかがあって、大昔のユーラシアの財宝が残っているようなところはロシアの博物館とも似ているのだが、その後、順路をたどって歩き回っているうちに、気づくと19世紀になっている。間にあるはずの、中世だとか近世だとかいう言葉で表現されている(はずの)時代がぽっかりと抜けていて、そのかわりにただ、大きなゲルの展示された部屋があった(カザフではユルトといいます)。

部屋の片隅には中央アジアのシルクロードを横切っていったムスリム商人たちの置き土産的コーランがあるくらいで(いやでもそれをすごいと思った)、他に目を引くものはなく、つまり時を経て残っているであろうものが博物館にしては明らかに不足していた。部屋の真ん中には大きな面積をとって、移動式住居のテントがぴちっと張られていた。大草原の遊牧民の生活を再現するつもりか、あくまでサンプルとして放置される展示用ゲルと展示用の馬を、室内の照明が赤に青に紫にと染めていた。

残るものを歴史というなら、残らないものは歴史ではないのかというとそうでもあるけれどそうでもなく、ポーネグリフは石だけではなく、書かれない時間は書かれないなりに空白を作り出したりもしていて、その空白に、ふっと、自由だと思った。その、創り出されたスペースを、きもちよいなと思った。私は空白が好きだ。

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カザフスタン人の多くがダウンロードしているアプリに、ジュズ(部族)の家系図をたどるアプリがあるらしく、土地にではない場所にアイデンティティを持つのは遊牧民だった彼らにとってはたぶん当たり前のことで、それをなんてすてきなんだろうと思っていた。

ところがその後、アフリカに来たところ、空港に降り立ってむんとする熱っぽい空気を吸い込んで、そのときにこれはもうただいまなのだと知って、どこからがただいまになるのかはよく分からないけれども、どこにただいまと言っているかもよく分からないけれども(大陸か?)、そのただいまの感覚に激しい安堵をおぼえ、私の中には土地に紐づいているアイデンティティもたしかにあるのだ。と思った。

だから地球がさかさになって空の中に振り落とされても、その蜘蛛の糸のような紐をたよりに、てきとうな場所を見上げて二日酔いをさますに違いないのだ。私は空白が好きで、でも自分は空白だけからは構成されていないことを、知っていると思っていたけど改めて知ったような気もする。

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毛皮のコートの下の

(モスクワ)

ヤキマンコ通りに来た。と言うためにモスクワに来た。
というわけでもないけれど、新しい場所へ行こうと決めたときにそれが寒い場所であることによって、なにか得体のしれない緊張感を伴うということがある。
寒い場所は、どうにかなるだろ感を削る。でもその細い場所にいることで、皮膚の外縁がくっきりとして、それはそのまま人間のかたちを表しているようにも思う。しばらく東南アジアにいて外縁をぼやかしていたので、余計に思う。 続きを読む

夜のない夜(バルト三国)

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ロシアでは、日差しが強い日も風はきりきりとさすように冷たかった。そこからバルト三国を南下して1週間。風の冷たさはやわらぎ、街ゆく人々の格好は軽く、薄くなってゆく。リトアニアまで下るとタンクトップ姿もちらほらみえる。

風があたたかくなるのと同時に、夜は長くなる。日没は20分ずつ早まり、日の出は20分ずつ遅くなる。北国の人びとは、冬の間に失っていた陽光を取り返さんとばかりに薄明るい夜を楽しんでいる。夜空が水色であることを喜ぶ。私は夜を取り上げられてしまったと思う、暗がりを取り上げられてしまって、夜の10時にバーで飲む酒はただ軽快で明るい。規則のない学校でいきがる不良は不良ではなく、自由を感じるためには不自由が必要なのだと思う。白夜に夜遊びを取り上げられてしまったのだ。

闇は人の存在する空間ではない。暗がりは究極の不自由だ。そこに薄明かりをともして、消えてしまいそうに小さな人間が精神だけをふくらまして、アルコールを云々することで世界は夜という名を得て目覚める。

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見知った夜

(南の島)

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(の夜)

朝になると澄んだ青い水面の揺れる海は、夜はただのっぺりと黒い。
夜中の12時にはボーと船の汽笛の音がする。冗長に響くその低い音を聞くと、この世界に私ひとりじゃないんだという気がして安心する。私は高台のテラスから、黒く塗りつぶされた暗闇の向こうを眺めている。オレンジの灯りだけがぽつぽつと、港のかたちを縁どっていて、こういうの、知ってるなあ、と思う。

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お天気雨

土地は、枠であるのだと思う。それ以上でもそれ以下でもない。

良く晴れた穏やかな午後に、海の見えるレストランにシーフードを食べに来た。ひなびた土曜の海岸通りにちいさく、一軒だけそこにぽんと置いていかれたような西欧風の建物があって、ロブスターが美味いという話だった。

タイルばりの床からは、潮を含んでむっとする湿気にさらされた漆喰のにおいがして、私はこのにおいを嗅いだことがあると思ったが確信が持てなかった。

海に面したテラス席からは赤や黄色のペンキで塗られた小さな帆船がみえ、おもちゃをばらばらと浮かべたような黒い海面にも見覚えがあったが確信が持てなかった。それほどに私の中にある類似の体験はごちゃ混ぜになっていて、場所というのはただその類似体験をごちゃ混ぜに放り込む、混乱した器でしかなかった。

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長居

(アビジャン)

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気がつくと時が流れていて、それは凝縮された時間のかたまりがジェットコースターに積載されて、身体の中をすごい勢いで通り過ぎていくような不思議な日々。

もう来ないかもしれない場所、もう会わないかもしれない人、本当はすべてのものはそうして定まらないままに流れているのに、でもしばらくそこにいると、同じ視線のうちに日々があると、ついその場所は当たり前のようにずっと動かずにあるもののような気持ちになってしまう。それはごく自然な遠い希望なのだと思うのだけど、

その遠い希望のせいで、ああ、あの時が最後だったのだ、と知るのはいつも、ずっと後になってからだ。それが最後の瞬間だったなんて、その瞬間にはもう決まっているのかもしれないのに、近視眼的に生きるほかない私たち人間には分からない。 続きを読む