バングラデシュ津々浦々シリーズその7 – 未来のようなもの(すぐ先にあるもののこと)
2012.6.2
タンガイルに来た。いつものようにダッカの喧騒を一本そぎ落としに来たのだ。
人の圧力と熱気にぎゅうと押しつぶされるバスの中。びっしり汗をかいて目覚めると、車掌の男の子が通路から私の腕をつついて何事かつぶやいている。私は暑さで押しつぶされた夢から這い上がったばかりで、なかなかそのつぶやきを耳に染み通さなかった。
「プロノバススタンドに着いたよ!降りて」
時間をみると12時45分。ダッカからきっかり3時間。ぐっすり眠っている間にバスは無事タンガイルに着いたようだった。
私は桜の散り際の東京から戻ったばかりだった。つい一週間前まではやわらかくくすんで消えそうな薄光の中にいたのに、盛夏のバングラデシュは容赦ない直射日光で、急にスポットライトを浴びたような気持ちになる。
タンガイルもとにかく暑くて、その頃の私には考えなければならないことがたくさんあった。ひとつ案件が終わるころで、ひとつ進路の決断もして、さて、これからどうするの?
近い未来も遠い未来も考えなければならないことはたくさんあったが、未来のようなものはまだもうもうと土煙に巻かれて見えなかった。
でもそんなのいつものことだ。未来のようなものはいつだって見えない。私はいつだってフワフワと浮ついて生きている。
ちょうど日本人の旅行者が「あなたの夢はなに?」というテーマで意欲的にインタビューをしながら世界を回っていた。私は特にない、と答えていた。それは模範回答ではなかったが、私には特に夢はなかった。今何をする、次に何をする、というその日暮らしの積み重ねがどこかに続いていくのならばよい。私はいつだってフワフワと浮ついて生きていた。
今回はタンガイルで働く日本人の家に世話になることにした。私は彼女のことを敬愛の意味を込めてねえさんと呼んでいた。ねえさんのこしらえた夕食はうまく、冷やした麦茶によく合ったが、私はビールを持ってこなかったことを激しく後悔した。どうしていつも旅をするときに酒を忘れるの?それはこの国のバス移動が過酷だからだ、それは言い訳になるの?いや単に面倒なだけか?と私は眠りにつきながら自問自答を繰り返していた。
翌朝もピーカンの晴れの日だった。寝起きの悪い私はぐずりながらなかなか起きずねえさんを手こずらせた。ねえさんごめんなさい。その日はあるNGOの事務所と、そのNGOの運営するノンフォーマル教育の寄宿学校へ行くことにした。学校で体育を教えている先生が付いてきてくれる。
CNGがなかなかつかまらず、私たちはテンプー(乗合いのピックアップトラック)に乗り込んで頭を屋根にガンガンぶつけながら学校へ向かった。
メインロードを縁取る木々の向こうに田んぼ、田んぼ、畑。こちら側には田んぼ、畑、民家民家。牛が草をゆっくりと食む。
その光景に既視感を覚えて空を仰ぐと、木々の彼方にみやる今日の空はしろっぽい。こんなに晴れて、でも不思議とこんなにしろっぽい。
1年としばらくをバングラデシュに過ごして、あちらこちら田舎を旅してきた。どこも何の変哲もない田舎の風景だったけれど、村ごとに町ごとに色が違う気がすることにそろそろ気づいていた。村ごとに町ごとに川の水の成分や季節風の関係で空気の色がちょっとずつ違うのか。それともその時期の私ごとに涙の成分や言葉の風向きがちょっとずつ違うのか。
書こう、と私はそのときゴトゴト揺れるテンプーの中でやっと思ったのだ。だってこんなにも微細な色の違いに気づいてしまったのだ。外縁から始めて、ダッカにたどり着くまでは書こうじゃないか。
市街地からしばらく走った街外れに寄宿学校はあった。いかめしい門をくぐると大きい緑の校庭が開ける。街外れにあるだけあって敷地は広い。校舎は校庭のはるか奥だ。
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