風呂に入りながら考えていたことを徒然なるままに。
1-翻訳をやっていて
歴史を学びたかったんだなあという、10数年前の話。でも流されるままに法学部に入って、あとはご案内のとおり、紆余曲折を経て今に至る。
今の時代でも十分に何がほんとで何がほんとじゃないかがわからないのだから、昔の時代についても調べるなんて大変なことだ。
2-名前をつけると病気になるっていう話
ちょうど半年前に、バングラとか東南アジアでは人と違う人に病名をつけないから病気じゃないって話をした。そしたらさっきどこかで流れてたラジオで同じようなこと言ってた。タイでは「徘徊に寛容」なのではなく「徘徊」っていう感覚があんまりない、って話。
3-
あともうひとつ、まとめようと思ったことがあったんだけど(風呂の中で)、忘れた。いろんなことが頭の中に去来して、大事なことはすぐ通り過ぎ、こぼれ落ちる。残ったことが結果的に大事なことなんだろうけど、ついこぼれ落ちた方にばかりね、気が向くのですよね。あーあ。
といって、ふと後ろを見ると携帯が放置されているのが見える。
しばらく携帯をいじらないでいると、それが何か美味しいものをいっぱいふくんで重くなってるような風に見える。来ていない返信とか、思いがけない便りとか、そういうのを。
4-思い出した。歴史の話だ。
今、歴史の本の翻訳をやっているのだけど、たまたま担当が中国・アジア史(宋~元)でした。
それで、宋の社会・文化の部分を訳していて、あーなるほど平和だったからこういう文を武よりも尊ぶ風潮があったんだねと思ったのが初めの印象。
徽宗っていう皇帝は「風流天子」と呼ばれた、なんていって、皇帝自らが書いた御絵なんかも掲載されていて、すげーなーと思っていた。すぐれた画家のパトロンになるのみじゃ飽き足らず、自分自身が後世に残る絵を書く(それが皇帝だったためかほんとうに当時からクオリティが高かったのか)っていう芸術肌の君主が、いるもんだなあと感動したりして。
そういうボンクラ君主は平和な時代にしか生まれない。戦乱の世では君主が国の統治をほっぽって絵を書いていて、しかもそれがけっこうガチでっていうことにはならない。平和な時代は、いろんな内なる批判を(アフリカの子供たちが飢えているから不謹慎だとか、今日もどこかで戦争が起こっているだろうから不謹慎だとか、そういう批判を)まずは置いて目の前にある本質を突き詰めるという一見無意味な活動に従事できるわけだな。働いているのではなく、遊んでいるように見える人びと。動いているのではなく、考えている人びと。
「宋の時代の文化は、装飾をそぎ落とし物事の本質に迫るものだった」っていう。
などと、感心しながら訳出を進めていったところで「金の侵略と宋の南渡」
宋最後の皇帝となった徽宗は、金の侵入を受け皇帝位を息子に譲ったが、結局金に都を落とされ、拉致られてしまう。徽宗以下、皇族のほぼ全てが連れ去られ、彼らが再び中国の地を踏むことはなかった。女性皇族はなんとか院という場所に入れられ、娼婦になることを強要された。
って、徽宗は物事の本質には迫ったが、家族すらも守れなかったのだ。
ここが平和な時代でも向こうは平和な時代ではないかもしれない。そして二つの世界の境界はあいまいだ。北方からの流入派、異世界ではなく、つまりここだけが世界じゃないのかもしれない。そんなことを思ったのだった。何がほんとうかわからないけど、歴史の本を読むのは楽しい。過去形で語られていたところが突如として現在形になり「宋代の白磁と唐代の唐三彩を比較して欲しい、今の世の君たち」というような呼びかけが生じたりする。そのたびに私は現実に引き戻されて、ああ、今と過去はつながっているようで断絶しており、いやしかし断絶しているようでやはり、脈々と流れ続いている、などと思う。