旅の反省文(その11)

旅人の資格11.生きる

下山の日の出来事さえなければ、何の変哲もない1週間のトレッキングだった。

 

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下山の朝は雨だった。ゴンドワナ大陸の時代から変わらずにここの場所にあるという、太古の山・ロライマに、しんしんと太古の雨が降る。

山の上を覆う岩の道は、この世の果てのような黒檀色をしていて、たくさんの凸凹があった。深く裂けた凹の淵は雨を溜めて、雨の弱まったひとときに透明な空を映し出す。覗き込むと私の目がふたつ、こちらをじっと覗いていた。深淵は、女性器の形をしている、と私は気づく。

降り続く雨のために、ちいさな沢は滝となり、轟音をあげて流れ落ちていた。滝の中に留まる岩を見つけてしっかとつかまえる。心臓発作でも起こしそうな冷水の中を、そろそろと重心をうつしながら降りる。気を抜かずに、丁寧に。
いくつかのキャンプを越えて、増水した川を即席のカヌーで渡ると、いつの間にか雨が上がっている。
雨上がりの日射しに焼かれながら最後の丘を越えたところにベースキャンプがあった。初日にテントを張ったのとおなじ場所だ。ここで荷をおろし、川に飛び込んで5日ぶりのシャンプー。明日には、町へ帰る。

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太古の日射しが太古の山を焼いてる。

シャンプーのにおいを堪能しながら、すっかり身体をほどいて、熟れていく夕陽の照らす山の中腹を眺めている。最後に越えた丘が、青々と緑をしげらせて、きれい。青い。まぶしい。
ベースキャンプのほんのすこし手前、丘を越える途中に、人が集まっていた。荷物を運ぶポーターたちかな。ということは、登山客はみんなベースキャンプにたどり着いたのかな。もういい時間だしな。そんなことをしゃべりながら洗濯物を干しに戻る。

ちょっと気になってもう一度見る。人が増えている。ポーターたちだけじゃなくて、登山客もいる。ベースキャンプまでたどり着いた後に、丘の中腹へ戻っていく登山客もいる。
みんな、息をきらしながら走っている。人が輪になっている。すぐそこで、何かがあったのだ。
ひとりが走ってやってきて、ベースキャンプの私たちに聞く。「誰か、ストローは持ってないか?」
「ストロー。ないな・・・」
「何があったの?気胸?」
「心臓発作だ」

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夜は、初日の夜とおなじように、ひっそりとしずかだった。ただひとつ、初日と違うのは、歩いて15分向こうにある山の中腹にたいまつの火が灯っていたことだった。魂が、そこにとどまるのを決めたというように、あかあかと燃えさかっていた。
私たちは、夜ごはんの前に山の中腹へと祈りをささげた。

何を思えばいいのかよくわからなかった。悲しいことなのかな。きっとそうなんだろう。
不思議なことなのかな。そうだよね。さっきまで、沢の中でビデオ回しながら笑っていたからね、セニョール。
悔しいことなのかな。そうなのかもしれない。あと15分歩ければ、ベースキャンプにたどり着いて、身体を休めることができたんだから。
私には関係ないことなのかな。それもそうだ。最後のビデオに私も写ったというくらいで、私は彼の名も知らない。
今日の下山はけっこうずっしりと身体にこたえたから、私が彼で彼が私でも、おかしくなかったわけで。それって、何なんだろう。生き残ることと、先に向こうに行くことには何の隔たりがあるんだろうか。生き延びることってとても恣意的なんだ。

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私はつい数日前の登山のときのことを思い出した。たいまつが赤く燃えているあの峰をずっと登ったら、直角に切り立った岩壁がある。頂上にほど近い第2キャンプのあたりに。
その岩壁はひやりと掌にしみてつめたく、しんと心の奥底まで平らにしてしずかだった。ただよう霧は水墨画のようにやわらかく、凝縮された時間のにおいをふくんで、Tシャツをしゅんと湿らせた。深呼吸するとじわじわと、霧の中にある緑のにおいが私の肺の中までしみこんでいった。神々しさという言葉を思った。

夜のテントから這い出て、私はもう一度、霞の中にあるあの緑を肺の中まで染み込ませる。シャンプーのにおいに紛れて消えてしまわないように、夜空を見上げてゆっくりと。
月が明るい。

翌朝、ヘリコプターがやってきて彼の身体を連れ去るのを見守って、半日歩いて町へ帰った。それからちょうど2ヶ月、旅を続けて日本へ帰った。東京はせわしなく、私はさまざまなものを忘れた。

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それからさらにしばらく経って、今、インドネシアのちいさな島にいる。インターネットも電気もなくて、珊瑚礁の碧い海が質素なバンガローの前に打ち寄せるだけの場所に。

今日は昼下がりの日差しが殊にきびしい。
海に飛び込むと、生きた珊瑚がすうすうと息をしている。小さな山のように盛り上がった紫の珊瑚は、その中腹にオレンジの魚のかけらをへばりつけて。
海から上がると、つい何百年か前に死んだばかりの珊瑚がくだけて砂になって、ぬれた足首にまとわりついた。白い砂浜に横たわると、わかめの潮っぽいにおいの中に、緑のにおいがする。海のしぶきが霧のように波間を漂っている。空が広い。

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ただここにいること。理由とか目的とかそういうのじゃなくて「在る」っていうこと。

とりとめのない思考の中に私はやっと、あの緑のにおいを、岩壁のひやりとしたつめたさを、そこに宿る何かよくわからない霧状のものを思い出していた。
あれは、岩壁に漂う霧の中の、緑のにおいは、あれは彼の命の残骸だったのだ。
ちいさな死んだ命のかけらたちは山の中腹に降り積もって、今ごろきっと、山そのものになっている。珊瑚の死骸が、生きた珊瑚のまわりに降り積もっているのとまったく同じように。

つまり、そういうことなのだ。私たちはただ、「在る」だけなのだ。そしてそのただ「在る」ことの積み重ねで、山は海は世界は形づくられているのだ。

場所を形づくるものを表面だけ、かりっと切り取って風に乗せて、シャンプーのにおいの中でもちゃんと守って、次の場所まで連れていく。ロライマの山からインドネシアの島へ、そしてまたどこかへ。
それが旅人の役割だ。
何かがどこかへ連れて行ってくれるんだって、風に乗ってどこへでも行けるんだって、死んだ命のかけらたちはきっと思ってる。

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「この世に生きるすべてのものは、いつか土に帰り、また旅が始まる。有機物と無機物、生きるものと死すものの境は、一体どこにあるのだろう」