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見知った夜

(南の島)

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(の夜)

朝になると澄んだ青い水面の揺れる海は、夜はただのっぺりと黒い。
夜中の12時にはボーと船の汽笛の音がする。冗長に響くその低い音を聞くと、この世界に私ひとりじゃないんだという気がして安心する。私は高台のテラスから、黒く塗りつぶされた暗闇の向こうを眺めている。オレンジの灯りだけがぽつぽつと、港のかたちを縁どっていて、こういうの、知ってるなあ、と思う。

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お天気雨

土地は、枠であるのだと思う。それ以上でもそれ以下でもない。

良く晴れた穏やかな午後に、海の見えるレストランにシーフードを食べに来た。ひなびた土曜の海岸通りにちいさく、一軒だけそこにぽんと置いていかれたような西欧風の建物があって、ロブスターが美味いという話だった。

タイルばりの床からは、潮を含んでむっとする湿気にさらされた漆喰のにおいがして、私はこのにおいを嗅いだことがあると思ったが確信が持てなかった。

海に面したテラス席からは赤や黄色のペンキで塗られた小さな帆船がみえ、おもちゃをばらばらと浮かべたような黒い海面にも見覚えがあったが確信が持てなかった。それほどに私の中にある類似の体験はごちゃ混ぜになっていて、場所というのはただその類似体験をごちゃ混ぜに放り込む、混乱した器でしかなかった。

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長居

(アビジャン)

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気がつくと時が流れていて、それは凝縮された時間のかたまりがジェットコースターに積載されて、身体の中をすごい勢いで通り過ぎていくような不思議な日々。

もう来ないかもしれない場所、もう会わないかもしれない人、本当はすべてのものはそうして定まらないままに流れているのに、でもしばらくそこにいると、同じ視線のうちに日々があると、ついその場所は当たり前のようにずっと動かずにあるもののような気持ちになってしまう。それはごく自然な遠い希望なのだと思うのだけど、

その遠い希望のせいで、ああ、あの時が最後だったのだ、と知るのはいつも、ずっと後になってからだ。それが最後の瞬間だったなんて、その瞬間にはもう決まっているのかもしれないのに、近視眼的に生きるほかない私たち人間には分からない。 続きを読む

再会するのかしないのか

(アビジャン)

「どこ、向かってるの」と私は隣のドライバー氏に聞く。

「前の車を追いかけろ、っていうから」

「ってことは、前の車に私の友達が乗ってるということなの」

「そうみたいだよ」

「どこ行くんだろう」

「はて・・・」

目の前を青い小さな車が走る。ウインカーも鳴らさず、すいすいと渋滞を行き過ぎている。それを私の乗る車がやいのやいの言いながら追いかける。雑なカーチェイスに、状況を飲み込めていないドライバー氏もなんとなく面白そうに、にこにこハンドルを切る。週末のアビジャンの町はさっと吹く埃の中で、しずかに乾季の終わりを告げている。 続きを読む

灯りのもと

(飛行機)

読書灯をつける。

友人に借りた本を読んでいると、最後のページからはらりと薄い紙が落ちて、それは友人がその本を買ったときのレシートだった。そこには5年前の4月という時間が印字されていた。

その5年前の4月に、私は何をしていただろうかと記憶を探る。
どこへ逃げようかと考えていた。嵐のような迷いの中にいた。今も迷っているが今は嵐ではない、たぶん。と今の私は思う。

友人がどこぞの書店でこの本を手に取った時間に、私にはまた別の時間が流れていて、しかし何の因果かその本を5年後の今私が読んでいる。それがとても、いいなと思ったのはそれは当たり前のことのように思えて、いや本当は不思議なことのはずだからなのである。

時空を飛び越えて虚構を追う体験を、活版印刷の発明から、石器時代からか、いやもっと前の認知革命か、言葉を生み出した時代からか、私たちはまるで当然のことのように、自分のもののように、こなしている。 続きを読む

星の数

(バンコク)

夕方のもたついた空気の中で西陽に照らされた、埃っぽい歩道をふらふらと、吸い込まれるように路傍のマッサージ店に入る。一階にひとり、西洋人の客がダルそうに足裏マッサージを受けており、私はその横でざっくり足を洗われた後に3階に送られた。

2階へ上る踊り場に小さな娘が立ちすくんでこちらをじいっと眺めており、年のころはきっと4歳か5歳。2階には黴っぽいマットが何枚も折り重なって積み上げられていて、ここは場末の体育館である。マットの上に女がごろり、スマホをいじっている。スマホのお尻から出るへその緒のような白いちぢれ紐が、彼女の耳まで伝わっていてイヤホンになる。映画のはじまりの長回しのカメラのように、私は階段を、部屋を、女こどもを点検する。もしかしたらピンク系のお店なのかもしれない、と少し思う。

3階まで上がってあたりをぐるりと点検する間もなく、スタンバイしていたオバさん氏が私にパジャマを投げてよこす。おじいちゃんが着ていたパジャマと同じ、くすんだ緑の格子柄で、構造上、男物のパジャマだと分かった。

寝転がり天井を仰ぐとどこからかニンニクのにおいがする。さっきまでこの部屋で誰かが昼ご飯を食べていたのだろう。隣には頭を禿げ散らかした小さなおやじがぐうと楽ちんないびきをかいている(あとでタイ人だと分かる)。ピンクかもしれないが、いびきに乗って伝わってくるのは平和という概念を音の形にしたものだ。

おばちゃんはおもむろにマッサージを始めるのだが、力は強い。肉付きの良い左腕を私の左ひざの後ろに回し、脚を伸ばさせながら、右手の人差し指で鼻くそを掘り出している。その指を使って膝まわりをもむ。どのみち祖父ちゃんのパジャマだ、何がついても構わない。 続きを読む

新春・続き方

変化すること、しないこと。

このところ何年も、(目に見える)変化のある場所にずっと身を置いていたので、「変化のある場所にいること」は逆に変化がないことのようになっていた。だから、昨今の私にとっては、「変化のない場所にいること」が変化であり、それゆえに私は変化がなく確からしく思えるものに憧れたり、目に見える変化を(移動とか環境の移り変わりとか)退屈だと思ったりしていた。

年末に飲んでいて来年の抱負云々という話になったとき一人が「変化があった方が楽しいと思う」と言っていて、ふむと思った。変化のない場所なんて本当はないのだろうけども、目に見える変化は楽しい。

日常の中に、目に見える変化があると、トクンとする。そういう小さな高揚はしかし、スパイスになっても、主食にはならない。というのが日本での定説だ。生活は、「変化しないもの」の上に成り立っている。「もしくは、繰り返すもの」「もしくは、前例とか」「続いていくもの」「でも主食だけでは退屈だ」 続きを読む

ベトナム5

ホーチミンとハノイはたしかに、空気が違う。ごはんが違う。人との距離感が違う。ビールが違う。町に漂う資本主義感が違う。
町のボリュームは、ホーチミンの方が大きい。

ホーチミンでは仕事の合間にバックパックを買ってみた。4代目となるバックパックを買ってみた。しっくりくるような、ちょっと違うような。
旅はもう以前の旅ではない。私には以前のような旅はできない。でもそれでもバックパックを背負うと、身がキュッと引き締まるような思いがするのはこれはなんだろう、慣性なのだろうか。ただいま感の中に、よそ者感があり、よそ者感の中に、ただいま感がある。

ベトナム2 

ベトナム(ハノイ)版つけ麺と聞くブンチャーなるものを食した。昼ごはんに食べることが多いというこの風変わりな名前の麺は、その中身も風変わりだった。

まず大きなどんぶりに人参と大根の浮いたコンソメスープのようなものが出てきたのでこれがつけ麺の汁だと思ったら、実際そうだったのだが、すすってみて違和感。つめたく、酸っぱいのである。酸辣湯麺のような酸っぱさではない。酢漬けの味である。酢漬けを薄めた液体の底には細かくニンニクが沈み、ぽちぽちと浮かぶのは刻み唐辛子。人参をすくい上げてかじると淡白なキムチのようである。

それからふだんは生春巻きの間に入っている春雨みたいな米粉の麺が、ほぐされることもなく、もりっと供されて、それをこの酢漬けスープで溶いてほぐし、上にパクチーやらシソやらオオバやらレタスやらを盛る。最後にバーべキュー肉と肉団子を乗せて、ほぐれた麺と一緒にすする。バーベキューの時の脂っぽいにおいが服の表面に乗り移る。

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麺を食っているという感覚はなかった。代わりに、生春巻きの中身を広げ、酢漬け野菜とコリアンタウンのプルコギを乗せてむしゃむしゃ食べているという感覚があった。ああ、なるほどすでに私はこれを韓国料理と認識しているのだな。

なかなか新しい食べ物であった。

風呂雑徒然草

風呂に入りながら考えていたことを徒然なるままに。

1-翻訳をやっていて

歴史を学びたかったんだなあという、10数年前の話。でも流されるままに法学部に入って、あとはご案内のとおり、紆余曲折を経て今に至る。
今の時代でも十分に何がほんとで何がほんとじゃないかがわからないのだから、昔の時代についても調べるなんて大変なことだ。

2-名前をつけると病気になるっていう話

ちょうど半年前に、バングラとか東南アジアでは人と違う人に病名をつけないから病気じゃないって話をした。そしたらさっきどこかで流れてたラジオで同じようなこと言ってた。タイでは「徘徊に寛容」なのではなく「徘徊」っていう感覚があんまりない、って話。

3-

あともうひとつ、まとめようと思ったことがあったんだけど(風呂の中で)、忘れた。いろんなことが頭の中に去来して、大事なことはすぐ通り過ぎ、こぼれ落ちる。残ったことが結果的に大事なことなんだろうけど、ついこぼれ落ちた方にばかりね、気が向くのですよね。あーあ。

といって、ふと後ろを見ると携帯が放置されているのが見える。

しばらく携帯をいじらないでいると、それが何か美味しいものをいっぱいふくんで重くなってるような風に見える。来ていない返信とか、思いがけない便りとか、そういうのを。

4-思い出した。歴史の話だ。

今、歴史の本の翻訳をやっているのだけど、たまたま担当が中国・アジア史(宋~元)でした。

それで、宋の社会・文化の部分を訳していて、あーなるほど平和だったからこういう文を武よりも尊ぶ風潮があったんだねと思ったのが初めの印象。

徽宗っていう皇帝は「風流天子」と呼ばれた、なんていって、皇帝自らが書いた御絵なんかも掲載されていて、すげーなーと思っていた。すぐれた画家のパトロンになるのみじゃ飽き足らず、自分自身が後世に残る絵を書く(それが皇帝だったためかほんとうに当時からクオリティが高かったのか)っていう芸術肌の君主が、いるもんだなあと感動したりして。

そういうボンクラ君主は平和な時代にしか生まれない。戦乱の世では君主が国の統治をほっぽって絵を書いていて、しかもそれがけっこうガチでっていうことにはならない。平和な時代は、いろんな内なる批判を(アフリカの子供たちが飢えているから不謹慎だとか、今日もどこかで戦争が起こっているだろうから不謹慎だとか、そういう批判を)まずは置いて目の前にある本質を突き詰めるという一見無意味な活動に従事できるわけだな。働いているのではなく、遊んでいるように見える人びと。動いているのではなく、考えている人びと。

「宋の時代の文化は、装飾をそぎ落とし物事の本質に迫るものだった」っていう。

などと、感心しながら訳出を進めていったところで「金の侵略と宋の南渡」

宋最後の皇帝となった徽宗は、金の侵入を受け皇帝位を息子に譲ったが、結局金に都を落とされ、拉致られてしまう。徽宗以下、皇族のほぼ全てが連れ去られ、彼らが再び中国の地を踏むことはなかった。女性皇族はなんとか院という場所に入れられ、娼婦になることを強要された。

って、徽宗は物事の本質には迫ったが、家族すらも守れなかったのだ。

ここが平和な時代でも向こうは平和な時代ではないかもしれない。そして二つの世界の境界はあいまいだ。北方からの流入派、異世界ではなく、つまりここだけが世界じゃないのかもしれない。そんなことを思ったのだった。何がほんとうかわからないけど、歴史の本を読むのは楽しい。過去形で語られていたところが突如として現在形になり「宋代の白磁と唐代の唐三彩を比較して欲しい、今の世の君たち」というような呼びかけが生じたりする。そのたびに私は現実に引き戻されて、ああ、今と過去はつながっているようで断絶しており、いやしかし断絶しているようでやはり、脈々と流れ続いている、などと思う。