夜のない夜(バルト三国)

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ロシアでは、日差しが強い日も風はきりきりとさすように冷たかった。そこからバルト三国を南下して1週間。風の冷たさはやわらぎ、街ゆく人々の格好は軽く、薄くなってゆく。リトアニアまで下るとタンクトップ姿もちらほらみえる。

風があたたかくなるのと同時に、夜は長くなる。日没は20分ずつ早まり、日の出は20分ずつ遅くなる。北国の人びとは、冬の間に失っていた陽光を取り返さんとばかりに薄明るい夜を楽しんでいる。夜空が水色であることを喜ぶ。私は夜を取り上げられてしまったと思う、暗がりを取り上げられてしまって、夜の10時にバーで飲む酒はただ軽快で明るい。規則のない学校でいきがる不良は不良ではなく、自由を感じるためには不自由が必要なのだと思う。白夜に夜遊びを取り上げられてしまったのだ。

闇は人の存在する空間ではない。暗がりは究極の不自由だ。そこに薄明かりをともして、消えてしまいそうに小さな人間が精神だけをふくらまして、アルコールを云々することで世界は夜という名を得て目覚める。

 

 

アルコールを含んだ夜闇ではファンタジーが生成されている。境界を失くすためには闇が必要だからである。日没に始まり日の出とともに消えるひとつづきのファンタジーは毎夜更新されて、闇の中にぽっかりと浮かぶおぼろげなランタンの色をしている。そこには予定調和がある。人間が存在を許された場所である。

私は白夜の始まった北国の夜にバーをハシゴして、いつまで経っても暮れない青空を見上げている。境界は保たれ、予定調和は壊され、夜遊びのあるべき姿は青く抜ける空に消えてしまった。10時を回っても石畳に残る太陽のにおいに、今ここにない夜を恋しく思う。私は夜遊びが好きなのだと、知っていたけれど改めて思う。

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(上から、エストニア、ラトビア、リトアニア)

日没  日の出
エストニア 22:40 4:00
ラトビア  22:20 4:30
リトアニア 22:00 4:40
*モスクワ 21:20 3:45
*東京   19:00 4:25