星の数

(バンコク)

夕方のもたついた空気の中で西陽に照らされた、埃っぽい歩道をふらふらと、吸い込まれるように路傍のマッサージ店に入る。一階にひとり、西洋人の客がダルそうに足裏マッサージを受けており、私はその横でざっくり足を洗われた後に3階に送られた。

2階へ上る踊り場に小さな娘が立ちすくんでこちらをじいっと眺めており、年のころはきっと4歳か5歳。2階には黴っぽいマットが何枚も折り重なって積み上げられていて、ここは場末の体育館である。マットの上に女がごろり、スマホをいじっている。スマホのお尻から出るへその緒のような白いちぢれ紐が、彼女の耳まで伝わっていてイヤホンになる。映画のはじまりの長回しのカメラのように、私は階段を、部屋を、女こどもを点検する。もしかしたらピンク系のお店なのかもしれない、と少し思う。

3階まで上がってあたりをぐるりと点検する間もなく、スタンバイしていたオバさん氏が私にパジャマを投げてよこす。おじいちゃんが着ていたパジャマと同じ、くすんだ緑の格子柄で、構造上、男物のパジャマだと分かった。

寝転がり天井を仰ぐとどこからかニンニクのにおいがする。さっきまでこの部屋で誰かが昼ご飯を食べていたのだろう。隣には頭を禿げ散らかした小さなおやじがぐうと楽ちんないびきをかいている(あとでタイ人だと分かる)。ピンクかもしれないが、いびきに乗って伝わってくるのは平和という概念を音の形にしたものだ。

おばちゃんはおもむろにマッサージを始めるのだが、力は強い。肉付きの良い左腕を私の左ひざの後ろに回し、脚を伸ばさせながら、右手の人差し指で鼻くそを掘り出している。その指を使って膝まわりをもむ。どのみち祖父ちゃんのパジャマだ、何がついても構わない。

 

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食べログというものは、と私は不意に思う。食べログにはこういう店は載らないんだろうな。トリップアドバイザーにも、載らないんだろうな。だから、心地よいマッサージとか、きめ細かいサービスとか、清潔で雰囲気の良い店構えを求めるお客さんは来なくて、ここに来るのは、行き当たりばったりに迷い込んでしまった客なんだろう。それか、オバ氏たちの常客か。

「あんた、日本人なの」オバ氏は片言の日本語交じりの片言の英語で聞く。

「日本人だよ」

「そうかい。タイ語しゃべれないの」

「1,2,3,4・・・」今も残っている数少ない旅人の性で、覚えた数字を得意げにしゃべる私に、オバ氏はがりがりと引っかかるような音を立てて笑う。それがどこか心地よくもあるのは、彼女の豊潤な肉に反射する声の渇きが、私の中にも住む二面性にうまく呼応しているせいなのではないかと思う。

「ちょっとだけ、しゃべれるのだね」

「数字と挨拶だけだよ」

鼻くその消えた指で彼女は私の膝を折り、横に倒す。『鼻くそはどこへ消えた』

ここに冷房はない。代わりに扇風機があり、ブーンという前時代的な音を立てて仕切りのカーテンを揺らす。私はその前時代性につつまれるようにして、うとうととあたたかさの中に分け入る。つらり、つらりと細い虚構へのいざないを受けて、潮が満ちるように世界が変換されていくのを感じている。きっと隣のおじさんと同じ舟に乗って。

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でたらめさ、無作為さ、気まぐれさ。偶発性。

これらを取り除く。予知、予期、予想。正解。

そう、正解。私たちは「私を含めた誰かの提供した」正解を求めて生きている。コスパの良い店、星が3.5以上のお店、デートで盛り下がらないお店、8人でも入れるお店。美味しいお店。

クオリティの高いお店。

「聡い」人はきっと、こんなババくじを引くことはないんだろう。そう私は思った。マッサージの合間にオバ氏の鼻くそに連想ゲームを始めたりニンニク臭に腹を減らせたりする店に迷い込むこともなく、食べログという「正解集」に思いを馳せたりすることもなく、きんとした冷房・穏やかな間接照明・ハーブの香りのきいた清潔なマッサージ屋で愛想のいいお姉さんのマッサージを受けるのだろう。それも同じ値段で。

でも、ぼろ家マッサージ店のもんやりと生あたたかい肌感も、漂うニンニク臭も、オバ氏の肉っぽい手つきも、どれもほどよく私の夢を侵食し、侵食された夢の世界は実は悪くない。

「上、向きな」とオバ氏の声が遠くから降ってくる。ふわ、と目覚めて私はぼんやりとした意識の中で仰向けになる。天井のしみが、この世界のものかあの世界のものか分からない。

「気持ちよかったかい」私の世界を取り戻してくれるかのように、現実を形作る質問。

「うん。いい具合」

「あんた、バンコクに住んでるのかい」

「短期でね」

「仕事かい」

「今回は仕事だよ。でも仕事じゃなくても来ることあるよ」

「へえ、いいねえ。わたしもね、娘がいるんだよ。離婚した旦那との間に。ちょうどあんたと同じくらいの歳のね」

「いくつなの」

「27歳。あんたはいくつなんだい?24?もうちょい?」

「だいたい娘さんと同じくらいだよ」

私の嘘つき。また戻ってこれないかもしれない場所では、虚構の人間になるという、今も残っている数少ない旅人的な悪癖。

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気まぐれさを、予測のつかなさを、たまたま出会ったマッサージ屋を求め、是としている。人との関係についてすらそうだ。無作為さ、仕組まれていなさ、「なんでここにいるんだろう」さを、なにか豊かなものとして享受している。
正解に囲まれて生きていていつでも誰かの(それも統計上多数派とされている)正解にアクセスできるのに、そのアクセスの容易さを退屈に思い、ここで道を右に折れたから入った場所・あそこで道路を渡っていなかったら来なかった場所(そして出会い)の積み重ねに必然を感じているというのは、えせアナログ人間の贅沢で屈折したボヤキなのかもしれない。

マッサージ屋を出ると西陽はすっかり傾き、町にはぽつぽつと露店の灯りが灯り始めている。夜のにおいが私の腹を鳴らし、この屋台でラーメンを食おうか、それとも食べログ評価の高いタイスキ屋まで電車を一駅乗ろうか、いずれにせよ私の喉はビールを求めている。

そういうわけで、いつも、食べログやぐるなびやトリップアドバイザーやその他さまざまな統計上大多数の価値観に、結局私も深くお世話になっているのでありました。

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