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夜のない夜(バルト三国)

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ロシアでは、日差しが強い日も風はきりきりとさすように冷たかった。そこからバルト三国を南下して1週間。風の冷たさはやわらぎ、街ゆく人々の格好は軽く、薄くなってゆく。リトアニアまで下るとタンクトップ姿もちらほらみえる。

風があたたかくなるのと同時に、夜は長くなる。日没は20分ずつ早まり、日の出は20分ずつ遅くなる。北国の人びとは、冬の間に失っていた陽光を取り返さんとばかりに薄明るい夜を楽しんでいる。夜空が水色であることを喜ぶ。私は夜を取り上げられてしまったと思う、暗がりを取り上げられてしまって、夜の10時にバーで飲む酒はただ軽快で明るい。規則のない学校でいきがる不良は不良ではなく、自由を感じるためには不自由が必要なのだと思う。白夜に夜遊びを取り上げられてしまったのだ。

闇は人の存在する空間ではない。暗がりは究極の不自由だ。そこに薄明かりをともして、消えてしまいそうに小さな人間が精神だけをふくらまして、アルコールを云々することで世界は夜という名を得て目覚める。

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見知った夜

(南の島)

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(の夜)

朝になると澄んだ青い水面の揺れる海は、夜はただのっぺりと黒い。
夜中の12時にはボーと船の汽笛の音がする。冗長に響くその低い音を聞くと、この世界に私ひとりじゃないんだという気がして安心する。私は高台のテラスから、黒く塗りつぶされた暗闇の向こうを眺めている。オレンジの灯りだけがぽつぽつと、港のかたちを縁どっていて、こういうの、知ってるなあ、と思う。

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お天気雨

土地は、枠であるのだと思う。それ以上でもそれ以下でもない。

良く晴れた穏やかな午後に、海の見えるレストランにシーフードを食べに来た。ひなびた土曜の海岸通りにちいさく、一軒だけそこにぽんと置いていかれたような西欧風の建物があって、ロブスターが美味いという話だった。

タイルばりの床からは、潮を含んでむっとする湿気にさらされた漆喰のにおいがして、私はこのにおいを嗅いだことがあると思ったが確信が持てなかった。

海に面したテラス席からは赤や黄色のペンキで塗られた小さな帆船がみえ、おもちゃをばらばらと浮かべたような黒い海面にも見覚えがあったが確信が持てなかった。それほどに私の中にある類似の体験はごちゃ混ぜになっていて、場所というのはただその類似体験をごちゃ混ぜに放り込む、混乱した器でしかなかった。

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長居

(アビジャン)

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気がつくと時が流れていて、それは凝縮された時間のかたまりがジェットコースターに積載されて、身体の中をすごい勢いで通り過ぎていくような不思議な日々。

もう来ないかもしれない場所、もう会わないかもしれない人、本当はすべてのものはそうして定まらないままに流れているのに、でもしばらくそこにいると、同じ視線のうちに日々があると、ついその場所は当たり前のようにずっと動かずにあるもののような気持ちになってしまう。それはごく自然な遠い希望なのだと思うのだけど、

その遠い希望のせいで、ああ、あの時が最後だったのだ、と知るのはいつも、ずっと後になってからだ。それが最後の瞬間だったなんて、その瞬間にはもう決まっているのかもしれないのに、近視眼的に生きるほかない私たち人間には分からない。 続きを読む

再会するのかしないのか

(アビジャン)

「どこ、向かってるの」と私は隣のドライバー氏に聞く。

「前の車を追いかけろ、っていうから」

「ってことは、前の車に私の友達が乗ってるということなの」

「そうみたいだよ」

「どこ行くんだろう」

「はて・・・」

目の前を青い小さな車が走る。ウインカーも鳴らさず、すいすいと渋滞を行き過ぎている。それを私の乗る車がやいのやいの言いながら追いかける。雑なカーチェイスに、状況を飲み込めていないドライバー氏もなんとなく面白そうに、にこにこハンドルを切る。週末のアビジャンの町はさっと吹く埃の中で、しずかに乾季の終わりを告げている。 続きを読む

灯りのもと

(飛行機)

読書灯をつける。

友人に借りた本を読んでいると、最後のページからはらりと薄い紙が落ちて、それは友人がその本を買ったときのレシートだった。そこには5年前の4月という時間が印字されていた。

その5年前の4月に、私は何をしていただろうかと記憶を探る。
どこへ逃げようかと考えていた。嵐のような迷いの中にいた。今も迷っているが今は嵐ではない、たぶん。と今の私は思う。

友人がどこぞの書店でこの本を手に取った時間に、私にはまた別の時間が流れていて、しかし何の因果かその本を5年後の今私が読んでいる。それがとても、いいなと思ったのはそれは当たり前のことのように思えて、いや本当は不思議なことのはずだからなのである。

時空を飛び越えて虚構を追う体験を、活版印刷の発明から、石器時代からか、いやもっと前の認知革命か、言葉を生み出した時代からか、私たちはまるで当然のことのように、自分のもののように、こなしている。 続きを読む

星の数

(バンコク)

夕方のもたついた空気の中で西陽に照らされた、埃っぽい歩道をふらふらと、吸い込まれるように路傍のマッサージ店に入る。一階にひとり、西洋人の客がダルそうに足裏マッサージを受けており、私はその横でざっくり足を洗われた後に3階に送られた。

2階へ上る踊り場に小さな娘が立ちすくんでこちらをじいっと眺めており、年のころはきっと4歳か5歳。2階には黴っぽいマットが何枚も折り重なって積み上げられていて、ここは場末の体育館である。マットの上に女がごろり、スマホをいじっている。スマホのお尻から出るへその緒のような白いちぢれ紐が、彼女の耳まで伝わっていてイヤホンになる。映画のはじまりの長回しのカメラのように、私は階段を、部屋を、女こどもを点検する。もしかしたらピンク系のお店なのかもしれない、と少し思う。

3階まで上がってあたりをぐるりと点検する間もなく、スタンバイしていたオバさん氏が私にパジャマを投げてよこす。おじいちゃんが着ていたパジャマと同じ、くすんだ緑の格子柄で、構造上、男物のパジャマだと分かった。

寝転がり天井を仰ぐとどこからかニンニクのにおいがする。さっきまでこの部屋で誰かが昼ご飯を食べていたのだろう。隣には頭を禿げ散らかした小さなおやじがぐうと楽ちんないびきをかいている(あとでタイ人だと分かる)。ピンクかもしれないが、いびきに乗って伝わってくるのは平和という概念を音の形にしたものだ。

おばちゃんはおもむろにマッサージを始めるのだが、力は強い。肉付きの良い左腕を私の左ひざの後ろに回し、脚を伸ばさせながら、右手の人差し指で鼻くそを掘り出している。その指を使って膝まわりをもむ。どのみち祖父ちゃんのパジャマだ、何がついても構わない。 続きを読む

新春・続き方

変化すること、しないこと。

このところ何年も、(目に見える)変化のある場所にずっと身を置いていたので、「変化のある場所にいること」は逆に変化がないことのようになっていた。だから、昨今の私にとっては、「変化のない場所にいること」が変化であり、それゆえに私は変化がなく確からしく思えるものに憧れたり、目に見える変化を(移動とか環境の移り変わりとか)退屈だと思ったりしていた。

年末に飲んでいて来年の抱負云々という話になったとき一人が「変化があった方が楽しいと思う」と言っていて、ふむと思った。変化のない場所なんて本当はないのだろうけども、目に見える変化は楽しい。

日常の中に、目に見える変化があると、トクンとする。そういう小さな高揚はしかし、スパイスになっても、主食にはならない。というのが日本での定説だ。生活は、「変化しないもの」の上に成り立っている。「もしくは、繰り返すもの」「もしくは、前例とか」「続いていくもの」「でも主食だけでは退屈だ」 続きを読む

ベトナム5

ホーチミンとハノイはたしかに、空気が違う。ごはんが違う。人との距離感が違う。ビールが違う。町に漂う資本主義感が違う。
町のボリュームは、ホーチミンの方が大きい。

ホーチミンでは仕事の合間にバックパックを買ってみた。4代目となるバックパックを買ってみた。しっくりくるような、ちょっと違うような。
旅はもう以前の旅ではない。私には以前のような旅はできない。でもそれでもバックパックを背負うと、身がキュッと引き締まるような思いがするのはこれはなんだろう、慣性なのだろうか。ただいま感の中に、よそ者感があり、よそ者感の中に、ただいま感がある。

ベトナム4

地方出張からハノイに帰る飛行機が、暗く寝静まる中、一冊の本をむさぼるように読んだ。ベトナムに来る前に数日立ち寄った東京で、二日酔いの頭をかかえながらかっさらってきたツンドクの本のうちの一冊だ。いつ買ったかも覚えていないベトナム戦争の本。そこには、

「アジアの小国がまたドンパチやってやがる」くらいのイメージしかないのさ、アメリカの中の人々にとっちゃ。

みたいなことを書いた一説があった。ここまでもう20年も、中国だ日本だ韓国だベトナムだインドシナだと、たいして違いの分からないアジアの国々に、大戦だ独立だ反共だと、もろもろの戦争が起こっていたようだが、それはしょせんニュースが伝える遠い地の出来事に過ぎない、というようなことだ。

ああ2016年、今も同じだなと思う。日本の中の人々にとっちゃ、中東のドンパチがそれだ。「もうここ20年もクウェートだイラクだアフガンだレバノンだシリアだと、違いの良く分からない中東で、フセインだビンラディンだアサドだテロだISだと、もろもろの戦争が起こっているようだ」が、「たいていはニュースが伝える遠い地の出来事に過ぎない」まま、日々消費されていくのみだ。情報が発達しても人間の想像力は発達せず、いやむしろ退化するのかもしれない。

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飛行機の中では読み終わらなかったので、ハノイに戻ってからも暇を見つけては読んでいた。さらさらと雨の降る午後にジュース屋の軒先で読み終えて、正気と狂気の境界にある、かたい部分にしなやかに手を伸ばす寓話的な緊張感に、多少酔ったようになりながら、ふうと息をついて本を閉じた。この本が書かれたのは64年で、ベトナム戦争はそれから10年続いた、というあとがきに、小さな絶望を感じて、雨脚の弱まったコンクリートの車道を見つめた。コンクリート舗装の下の、50年前のベトナムの土を想像してみるがうまくイメージできない。

私はもう一度本を開いた。扉には「何があっても応援してるから」裏表紙には「おまえには世界が似合う」と書かれている。

この本がよもや、自分が海外に出るときの貰い物だったとは思わなかった。というか、貰い物であるということもすっかり忘れていた。ベトナムで読み始めてしばらくしてこの手書きコメントを見て、この本をもらった東京での飲み会のことを思い出した。その飲み会のぐだぐださと多幸感と、小さな安全の感覚を思い出した。飲み会の一週間後に私はベトナムにいて、麺をすすったり、孵化する直前のアヒルことゲテモノのホビロンを食べたりしたのだ。それらに大げさに感動して、つよく東京からの解放を感じたのだ。もう、6年も前のことだ。

あのときの飲み会にたくさんの勇気をもらっていたのだということを、6年を経た今ももらい続けているのだということを、さっとまるで当然のことのように、ずっと知っていたことであるかのように思う。6年もこの本をほったらかしにしていたくせに、書いてもらったコメントもずっと忘れていたくせに、ついでにもう一冊もらった本もまだ読んでいないくせに、でかい顔してそう思う。

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帰り道ぼーっと歩きながら、露店につまみ食いをしようと押し入った。店先、肉まんと同じ場所に、無害な顔をした白い卵がいくつか置かれていた。私は6000ドンを払ってその卵の中からにゅるっと這い出たホビロンを食した。6年前はその内臓や顔や羽の原型にウオッと思ったものだが、今回の感想はちょっと見た目エグイけどコクがある卵だなくらいのものであった。みずみずしい感動が失われた代わりに、今の私の中には平らな器ができたのだと思う。10年の歳月、6年の歳月。おとなになった旅。