Bangladesh000-Sirajgonj(旧ブログ6)

バングラデシュ津々浦々シリーズその6 – 水と土のこと(識字について)

2012.5.28

見渡せる限り海のような開けた川だった。

日差しを遮るものはなく、筏にエンジンを付けたばかりの、はしけほど平たい小舟はすっかり空にさらされている。小舟のへりに座る小母さんは真っ黒なコウモリ傘を私の肩越しに差しかける。
私は雨季の川の上にいた。川の中洲にある小さな島に学校を訪ねて行くのだ。

 

バングラデシュは川の国と呼ばれる。雨季に増水して自在に膨れる川に抱かれ、中洲に浮かぶ小島は左右上下を削されて肩身を狭くしている。
本土から小舟でわたるのにゆうに1時間を要する、ここは離島だ。日本の離島のようにぽつんと大海原の中を取り残されているというのとは違う、右も左も上も下も本土で囲まれた、それでもれっきとした離島だ。
離島ということで行き届いていないサービスはいくらでもあり、そのひとつに教育があるという。先生不足。教材不足。学校不足、制服不足。
このNGOが行なっているのは識字教育と女子学生支援だった。

図書館の設置で有名なこのNGOの代表に言われたのは、
「この国には図書館を作る以前の問題があるんです。本を読む習慣がない。読み書きができない。図書館作りもやっていますがそんなのは後です。今度一緒に離島に行きましょう」
だった。

そこで彼らは、国語学習のクラスに新カリキュラムを取り入れさせるとか、定期的に読み書きを訓練するお祭りみたいなものを開催するとか、書籍を寄贈するだとか図書室を作るだとかの活動をしている。
(ちなみにこの国では小学校にあたるのは約6歳から10歳が学ぶプライマリースクール、中学校にあたるのが約11歳から17歳が学ぶ3課程に分かれたセカンダリースクール。なのだが、入学年齢も、そもそも年齢自体の計算が適当なので、あまりあてにならない。ドロップアウト率も高い)

識字率6割弱と言われているこの国で、バングラデシュ統計局のデータをみると、男女間(15歳以上)で約8%の差、田舎と都会の間に約14%の識字率の差がある。つまりこのNGOは、性別間、居住地間の格差の両方の問題に取り組んでいるというわけだ。
識字能力って何なんだろう、と私は思った。辞書的なものには「読み書きができる力」とある。

読み書きができる力。単語は平易だ。うーんしかしいまいちピンと来ない。
なるほど識字能力なんてものは日本にいると意識しない。標識も新聞も小説も参考書も、読めて当然だ。意味を持っていて当然だ。
ところが平仮名も片仮名も漢字もアルファベットも見えない日本の外に旅をしていて、エキゾチックさを感じるのは意味を成さない象形文字のような看板である。土産に買うのは現地の文字が並んだTシャツや現地の文字の羅列された小説本である。意味を成さない記号というものは絵なのだ。
そして短期間の旅をしているだけだと、それらの絵に瞬時に意味を持たせることは滅多になく、絵は絵のままで写真のなかにも心のなかにも収まるのだ。

目の前に果てしなく広がる絵の連続の世界を、暗号によって整理しようとする努力。
目の前にある看板が意味を持って浮き出てくるのを待つこと。目の前にある冊子が物語を持って迫ってくるのを待つこと。誰かの前に意味を持って浮き出、物語を持って迫ること。

それを私は、鍵と鍵穴、と仮置きしてみた。
本を読んで育つという選択肢を取り得た人間にとってそれは、誰か知らない人の残した世界の鍵穴に差し込む鍵をもらうこと、自分がその誰か知らない人たりうるための鍵をもらうことであった。そしてそれはとても大きなことであった。

 

チベットから流れ出してアッサムを抜ける大河・ジョムナ川(別名ブラフマプトラ川)がガンジス川と合流する手前に、ジョムナ橋がかかっている。架橋にあたって日本からも有償資金協力のあった全長4.8kmの長い橋。ダッカからジョムナ橋を通じて川を渡ったばかりの場所にシラジゴンジの街はあった。
街の外れに泊まり、朝目覚めると私たちはすぐに川へと向かった。日はすごい勢いで登っていた。川へ浮かぶ小舟に乗り込んで言われたのは「カティンガに行くよ」。カティンガというのが固有名詞か普通名詞かもわからなかったが、場所をさす言葉だというところまで理解して私は頷き、小舟に飛び乗った。

1時間を舟に揺られたころ、行く手に島が見えた。
島はまっ平らなままに川に浮いていた。数センチと思えるほどの海抜。舟を付けて苦もなく這い上がると、川の流れに沿って若い青のガヴァ林が茂る。
それはそれはしずかな林だった。風が通り抜けるとさらと音が降る。三日月を綺麗にふたつくっつけたほどの葉がちらと揺れる。
私たちは川を背にしてずんずんと道を奥へ進んでいった。

島は案外奥深かった。小学校にたどり着くまでに私たちはサトウキビの茂みを通った。背丈をすっぽり隠す緑の茂みに、私は毎週末を奄美諸島のあの島やこの島で過ごした数年前を思い出した。

「生きてはいけるのだ。もちろんたくさんの問題はあるけれども」
加計呂麻島で世話になっていた家族のお父さんは言った。
「本土からきたねえちゃん、しばらくここで過ごしていくか?畑仕事は手伝ってもらうよ」

島を出ることはあるの?と聞くと彼は、むかしは、と言った。もう行かない。島んちゅの中にはずっと行かない人もいる。
ときには島の外に出てみるのも面白くないですか?と言おうとして、本土の人間がそんなこと言ったってつまらんと思い直し、口をつぐんだ。

 

サトウキビの茂みの中ただ足を進めていると、突然視界が開けた。空き地に沼があり、橋を渡ると校庭があった。そこが学校だった。島で一番大きな学校は、プライマリースクーとセカンダリースクールがつながっていた。
島にはプライマリースクールが6校(1200人程が入学するのでおよそ1200人の児童が在籍)、セカンダリースクールが1校(400人の生徒が在籍)あるという。セカンダリースクールに上がる時点で、単純計算で2/3がドロップアウトするわけだ。そこからさらにドロップアウトする生徒がいて、島の外に出るのは10%ということだった。40人。うちの高校のひとクラスだ。

校庭を突っ切る間に子供たちがワーと群がってくる(バングラデシュの学校訪問でこれは恒例行事だ)。私たちは先生に挨拶し、カリキュラムの内容や図書の保存状態をチェックし、生徒や児童にインタビューをする。本は読んでいるか?勉強はどうだ?今必要なものはなに?将来なりたい職業は?

ちょうど試験期間中だったので、私たちは終わったテストの答案用紙をみせてもらったりもした。素朴な紙の上にベンガル文字。彼らの読み書きの跡。彼らは問題を読んで、(その一部を)理解して、自分の言葉で書く。バングラデシュの教育は暗記教育だと言われていて、理解の程度はどこまでかとか本当に自分の言葉なのかとかいろいろ疑問はあるが、識字能力のようなものが読み書く能力をさすのならば、このテスト用紙に文字を書き付けている彼らはひとり残らず識字能力を持っているということになるのだ。

当時ベンガル文字の読めなかった私は、楽譜の五線のごとき一線(マットラという)に吊り下がるようにウニョとする曲線やら直線やらマル三角四角に、「読むって?」となんだか不思議な気持ちがする。
私は小学校で漢字の原口の原や口に意味を持たせた前の記憶を失っている、中学校でアルファベットに規則性を持たせたときの記憶を失っている。識字という言葉に包含されるのはこの昔の記憶だった。

セカンダリースクールの女の子たちは、教師を遠ざけてインタビューしても、「将来は医者になりたい」「先生になりたい」などという。弁護士になりたいなどという生徒はいなかった。とはいえ、将来なりたい職業について考えていた時期の記憶だって簡単に失われてしまうのかもしれない。
そんなことを考えながら子供たちのお祭り騒ぎをまくようにして小学校を後にすると、私たちは橋を渡った。

 

島の中に池があった。この島も大海の中の大陸の中を流れる大河の中洲にあるのに、その島の中にも池がある。池の中に小さな浮島がある。まるでマトリョーシカである。水と土と水と土と、水。この国で目にするのはその繰り返しだ。じゃあ日本は違うのか?
池を越えるとまたガヴァの林に出会った。案内の小母さんはいたずらっぽく笑ってガヴァの実をポキと一つもぎ、私に投げた。

木はあいかわらず気まぐれにさららと鳴る。若い緑が草の濃い緑に映えて美しい。「この木はガヴァの木です」なんて札もついていなければ、「この木は某家の某の木です」なんて札もついていない(つまり立木に明認方法は施されていない)。ガヴァの木は裸のまま群生して、その実を取られるばかりである。
木は洋服を着ていず、絵をまとっていない。この島に標識はなかった。そういえば、私がこの島で見たベンガル文字は子供たちの試験の答案用紙だけだった。

IMG_8148

バングラデシュの統計局が、識字能力の行く末を文字を運ぶ媒体ごとに整理していた。
「読めない」人たちが媒体問わず一律3839%存在する一方で、その3839%とは別に、「読めるけれど読んだことがない」人たちが一定数いる。
例えば標識を読んだことがない人は15%、ポスターは20%、新聞雑誌は33%。小説は41%に参考書が51%。
小説に例を取ると、読んだことがある人は20%しかいないというわけだ。

識字能力はどこへ消えたのか?
キラキラと光の立ち上るあの川の中に溶け入ってしまったのだろうか。
読み書きができる、というところまででは足りないということにそのとき私はやっと気づいた。そこでやっと、書籍なり図書館なりという場所へ来るのだ。アビリティから、アクセシビリティだ。

ついでにいうと、読める、読む、というところまででも足りないのかもしれなかった。

読み書きといっても読むことと書くことの間には隔たりがある。
意味を成すことと、残すこと。鍵を手に入れることと、鍵穴を設置すること。
例のデータによると、バングラデシュでは「書けない」人たちが媒体問わず一律46%存在する一方で、その46%とは別に、「書けるけれど書いたことがない」人たちが一定数いる。
手紙を書いたことがない人は39%、公式なレターやレポートを書いたことがない人は4447%。
確かにこっちのひとはメモを取らない。たとえ書くことができても、書こうとしないのだ。

でもそれを言い始めたらバングラデシュの人たちだけではない。日本人だって私だってそうだ。私たちだって書けるけど書かない類の人間だ。果たして自分自身できちんと鍵穴を設置しようとしてきたか。

私は世界を読んでこようとしても、世界を書いてこようとはしなかったし、きっとこれからもしない。ことばは私の頭の中や胸の奥を通り過ぎてどこかにほかされるだけだ。
どうやら私の識字能力も不完全なようだった。

川辺にたどり着くと、小舟は川に浮かんだままだった。
識字能力なんてものはいったい何の役に立つんだろうかと私は思った。

 

バングラデシュで出会った日本人にとても知見の深い人がいて、彼はこう言った。
「『移動の自由や思想の自由を持っていて、共通言語を話し、ITによって情報へのアクセスを持っている人たち』と『こういう鍵を持たない人たち』を分けたとして、300年後に残るのは、瞬間的に世界を変えることができる前者ではなく、後者の土着の習慣とか考え方なのかもしれないね」
そして続けた。
「後者は一朝一夕で変わるものではないからね」

私たちが変えようと思っているものはなんなんだろう。この島の人たちが標識を読めるように、新聞を読めるように、小説を読めるように。手紙を書けるように、レポートを書けるように。それがたとえ時を経て流れ落ちてしまうものであっても?とりあえず役に立つから?

水と土だ、と思った。
川がこの世界から流れ落ちたとして、土は少しずつ色を変えながらも残る。
そして識字教育とはこのまっ平らな小舟であった。私たちをどこかへ連れていってくれる箱舟。絵に持たせる規則性。くるくると形を変える万華鏡の中を覗いてウワァと驚くと、煙に巻かれてどろん。あとには大地が残る。

私はそもそも自分にあると思い込んでいる識字能力をほとんどなんの役にも立てていなかった。仮に役に立てているとして、役に立てていると思っているものはとても儚いものなのかもしれない。
あの小舟は私をどこにでも連れていってくれるけれど、おかげで私はどこにもとどまれないのだ。

 

川べりに腰を下ろして舟に注ぎ足すオイルを待っていた。裏の林から頂戴したガヴァをカリカリとかじっていると、島の長老とおぼしきご老人がカリカリと杖をついてやってきた。土の肌をした老人は隣に腰を下ろし、私の食べる様をしげしげと珍しそうに眺めている(バングラデシュでこれは恒例行事だ)。彼は老人らしくモゴモゴとしながら、どこから来たのか?兄弟は?などと聞きはじめ、お決まりの質問は長くなりそうだったので私も色々尋ねることにした。いつもこんなに暑いんですか?さっきガヴァもらいました。雨降らないね。おじいさんは何をしているの?

島を出ることはあるの?と聞くと彼は、むかしは、と言った。もう行かない。島んちゅの中にはずっと行かない人もいる。
ときには島の外に出てみるのも面白くないですか?と言おうとして、いやそうとも限らないなと思い直した。小さな島の外に出てみるのを面白いと思わない日本人だってゴマンといる。

「生きてはいけるのだ。もちろんたくさんの問題はあるけれども」
長老は言った。
「ガイジンのねえちゃんも、またおいで?畑仕事は手伝ってもらうよ」
ガヴァの虫とりとかね、といたずらっぽく笑って、長老は果物の残り皮のようなものをプッと吐き出した。どうやら彼もガヴァをモゴモゴしていたクチらしかった。

本を読んで読んで読んで育つという選択肢を取り得た人間にとって、誰か知らない人の残した世界の鍵穴に差し込む鍵をもらうこと、自分がその誰か知らない人たりうるための鍵をもらうことはあまりに大きな体験であった。大きすぎて鍵を手にした過程を忘れてしまうほどのものであった。

だから私は、文字を読まないこと、読めないことを、新聞や小説を読まず、手紙や日記を書かないことを、もちろん一言では肯定できない。
しかし読み書きをしない生活を一言で肯定できないのと同じくらい、読み書きをしない生活を私は一言で否定することもできないはずなのだ。
文字とも本とも無関係に、滞ることなく続く日常が厳然として存在している。

舟にゆられて島を去りぎわ、島の人たちは小舟を凝視し軽く手を振り、すぐに振り飽きて各々の作業へと戻った。

舟のエンジン音に燻されながらまどろんでいると、川面からキラキラと光が立ち上っていた。ベンガル文字の残像も、私が今まで日本文字やアルファベットから読み取ってきた世界の残像も、滞ることなく続いていくあの日常の中に溶け入ってしまったようだった。
文字を溶かし入れるのがこの川ならば、この川をあの島の日常が食べ尽くすというのも悪いものではなかった。

だって私たちのこしらえたこの舟だって完全なものではないのだ。

(参考 Industry and Labour Wing Bangladesh Bureau of Statistics Statistics Division Ministry of Planning)