Bangladesh000-Kushutia(旧ブログ続編8)

バングラデシュ津々浦々シリーズその8 – ふたつの夢(過去と現在のこと)

2013.1.25

あの場所から遠く離れたアフリカの東の端で、小さな宿の裏庭に私はマッチを擦った。ちりりと針で刺されたような痛みが顔じゅうに触れ、たちまち昼下がりの、赤っぽい風のすそのふくらみに紛れる。

何せ煙草をひらくのは半年ぶりであった。この痛みが煙草の先端に火のうつる手触りのそのものであると気づくのに少しかかった。もしかするとそれはひりひりとあたたかい郷愁であったかもしれない。
季節をなくしたするどい日射しは大木の、毛細血管のようにこまかく広がる枝葉を透いて、膝のうえに載せたタゴールの詩集に染み込んだ。タイから来た樹だとこの宿のオーナーは言う。名前は知らない。うす桃色の儚い花びらが、ぽろぽろと鈴なりになっている。この街は年じゅう誤りなく春の色をしているので、花のにおいは寸分たがわず淡かった。風も花も陽の光も、かたちをなくそうとしている記憶のように、何もかもが気まぐれにゆっくりと通り過ぎた。

急がねばなるまい。私は焦って煙草をほそく吹いた。
吐き出す煙はふわりとやわらかく、綿状にひらいて私の裏庭にゆき渡った。いが、が、喉の奥をがりがりと何度も引っ掻くので、私はおそるおそる目を閉じる。
煙の中になにかが居る。光につつまれて瞬間的に私は悟った。焼け付くような痛みが追いかける。チカチカと突き刺さるガラス質の欠片がある。このこがね色一色の万華鏡は、私の過去と記憶を隔てる浸透膜の、こまかなつぶなのだろうか。目の潰れそうなほどのまぶしさにそれでも目を凝らすと、煙の中の世界はかろやかなベンガル語の、ラロン廟で歌われていた歌たちの屍で敷き詰められてあった。それは死んでいた。
死ぬを始めて半年が経ったばかりなのに、たしかに死んでいた。
バングラデシュの首都の、ダッカに暮らした1年半の過去を、その後の旅はすでに殺してしまっていたのだった。

私はちょうど半年ほど前にダッカの小さなアパートを出て、ヨーロッパに飛び、アフリカで数ヶ月を過ごしていた。その半年の旅の間に、バングラデシュにたしかに存在していたはずの私は姿を消していた。過去は皮を剥がされたのち、肉を屠られ内臓を破られ、骨を砕かれていた。たくさんの血が流れた。

消化され尽くしてこなごなになった過去は、気づくとぼやけたけむになっていた。パッケージとしての、記憶のかたちはいつも不確かだ。私はほとんど意図的に、そのけむをビニールでぐるぐる巻きにして、記憶と書かれたステッカーを貼っていた。そして押し入れの中にぎゅうぎゅうに詰めて、後からどんどん新しいものを放り入れた。
ダッカの喧騒と排気ガスのたてる埃っぽいにおいは、エチオピアの、アディスアベバの道路工事の乾いた石つぶのにおいに。
地方都市タンガイルへ向かう幹線道路沿いを、色褪せた緑の茂る音は、ケニアのマサイ・マラの、サバンナに広がる茶色い草たちの引っ掻き合う音に。
インド国境にほど近い街ラッシャヒを滔滔と流れるガンジス河を照らす、夕陽の燃えるような赤さえも、ジブチの海にしずむしずかな桃色に、綺麗にとって代わられた。
旅はまだかろうじて、非日常という名をした荒削りの石に彩られて、新陳代謝を繰り返していた。

私の内にある記憶は撹拌された。それから私の身体がとどまるアフリカ大陸に追いついた。記憶の上澄みにバングラデシュがせり上がってくることはもうほとんどなかった。
半年が経っていた。

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その夜、乾季のナイロビに珍しく雨が降った。うすいナイロン地を通じて、テントに夜の雨が忍びこむ。草がさらさらと鳴る。まるで涙の落ちる音のようだ。生々しい土にかすかに犬の糞尿がまざった、そのにおいは少し腐ったやさしい泥水のにおいで、バングラデシュの雨季のにおいに似ていると私は思った。

深夜はほそい月に照らされて、ふわりと明るかった。私は寝袋に潜り込んで薄目を開いた。テントの屋根には小さな雨粒が月影を作っていた。ひとつぶずつ人の溜まるのを待つ交差点のように、記憶の欠片の集まるのを待つ、過去。かつては雲であったこの小さな雨つぶたちもまた、天を離れたそのときに死にはじめるのだ。そうして旅人のテントの屋根に、同じような死にはじめの雲たちをいくつも待っている。雲の屍は雨のすじ。雨は一気に流れ落ち、私は眠りの扉を一気に押し開けた。

夢をみた。

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私はひとり雨季のバングラデシュの雨の合間に、バンガリに乗って田舎道を走っていた。バンガリは自転車のひくリヤカーに似て、私は板の台の上にぺたりと腰を載せて、子供のように足をぷら下げている。日射しははげしく刺すようで、風は木々の葉をさらさらとやさしく撫でながら抜けていた。そうだ、私は今、大詩人タゴールの家の跡地に向かっているのだ。

5分も走っていると、桃色のサリーを巻いた小母さんが行く手を阻んだ。わたしも、隣町まで。どうぞどうぞ。小母さんはサリーの裾をたくし上げて、バンガリの荷台のちょうど私の右隣に腰をおろした。綿のサリーに乱雑につつまれた尻は広大で、頑丈だった。私は少し左にずれた。よっこらしょ。
彼女は私の膝をつかんでカカカと笑った。お嬢ちゃんありがとうね、あんたどこから来たの。
ラロン廟からです。いや、ダッカに住んでいるのでダッカから来たともいえます。いや、それを言うなら日本からかな。
あらあんたダッカに住んでるの、家族はどこにいるの。
家族は、日本です。私日本人なの。

バンガリは走り出した。風はふたたび風になった。雨上がりの日射しも、バンガリにあわせてふたたび走りはじめた。サンダルに載せた彼女の足の甲はびっしりと日焼けして黒光りしている。バンガリ漕ぎの踏むペダルの、きしむ音のうえを、4本の足の甲がぶらぶらと揺れている。
小母さんはまたカカカと笑った。大きな笑い。故郷に帰ったような安心。
道沿いの木々が、枝ごと千切れてしまいそうなほどに巨大なジャックフルーツの実をつけていた。いや、この重い実は、人間が千切ろう。ずしりジャックフルーツの落ちる音。小母さんの笑うカカカカカ。ペダルのきしみ。風のうなり。ぎちぎちと、昼下がりの日射しの落ちる音。その下に広がる人間の生活を切るように落ちる音。帰ろうという声。帰ろう。帰ろう。
たくさんの、巨大なジャックフルーツの落ちる音がした。そうか、私はもうこの国を去るのだ。

ナイロビの雨の夜の夢は、バングラデシュ西部の田舎町クシュティアを訪れた過去を、そのままたどっていた。

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クシュティアはバングラデシュ西部に構える、その昔バングラデシュがインドであった頃に栄えた古い町だ。

もう少し正確にいえば、今のバングラデシュがインドの東ベンガルであった時代に、コルカタを中心とする西ベンガルから、アラカン山脈の向こう側にある東南アジア各国を結ぶ重要な交易地点として栄えた町である。そしてもうひとついえば、アジア人で初めてノーベル文学賞をとったロビンドロナト・タゴールが、彼の80年にわたる壮大な人生の一時期を暮らしたことで有名な町だ。

しかし、もともとこの町は詩歌に対する敏感さを持ち合わせていたのであろうか、クシュティアに所縁のある詩人はタゴールだけではなかった。
この町はバウルと呼ばれる吟遊詩人の集まる場所でもあった。彼らは民族音楽の歌い手であり、その歌は口頭で伝えられて譜面にとどまることがない。彼らはヒンドゥー教徒にもイスラム教徒にも与せず、ちょうど大昔の日本の歌舞伎のように、ちょうど一昔前のアメリカのヒッピーのように各地を流浪し、歌を歌いつづけてきたのだという。
彼ら歌う修行者たちの中でもひときわ偉大なバウルが、18世紀終わりに生まれたラロンというバウルで、クシュティアには彼を祀った廟があった。ラロン廟では今も日々、バウルが歌う。

クシュティアを訪れたある午後、私はまっ白に焼けたラロン廟に足を踏み入れた。
ラロンの廟には壁がなく、白い壁の向こうにひらいた空間に、風は素通りしていた。それでいてそこには、がらんどうの講堂にみられる奇妙な空気溜まりがあった。

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ある空間の中では時間の進みが遅く、空気は同じ場所を、円を描いて一周している。
呼吸するように、登って下って、ひらいてむすんでを繰り返しし。呼吸するように、うたって、閉じてを繰り返しし。
廟の中に、円座になってバウルの一団が座していた。彼女らはうたっていた。太鼓の皮をたたき、エクタラというシタールに似た楽器の弦をかき鳴らし、ある一定のリズムで彼女らはうたっていた。そこにはアコーディオン状の、見たことのない楽器もあった。
彼女らの歌声は甘く、切実で、何度も痛みを繰り返すようだった。人びとも、円座になって膝を打ち、そして踊った。
変調のタイミングで、中心にうたうバウルの女の声が一段と高くなった。おそらくここがサビなのだ。
歌は何度も同じ場所をループし、ふらりと寄った乞食僧のようなバウルが円を描いて踊る。この空間に閉じ込められた風もまた円を描いている。既視感の後に続く既視感。なにもかもがループで、私もここに閉じ込められたまま出られなくなるのではないか。頭の中にジクジク、腐り始める音がする。

はた、と、バウルの歌が止まったとき、氷のにおいのする突風が吹き込んだ。私はひやりとした。歌と音とざわめきの飛び交うこの白い廟の中に、突然、ブラックホールのような大きな穴が投げ入れられたようだったからだ。
バウルの一団も、私も、彼女らの身体から立ちのぼっていた歌のにおいも、廟の壁に反射したやわらかな太陽ですらも、突如としてその穴の中に吸い込まれた。がらんどうの空間は一瞬間、つめたい白い闇につつまれた。
まっ白な闇につつまれて、音もない。眩暈がする。
ここはまるで、夢の中だ。

息を止めていると、すぐに風は再びぬるくなった。太陽はもぞもぞと廟を照らしにかかった。雨季のバングラデシュらしい湿った風が廟の中へしのび込んできた。私は雨季のクシュティアへ戻ったのだ。
急に人心地がついたような気持ちになって、私はバウルに心付けを渡して立ち上がった。今から廟を出て、バンガリに乗って、タゴールの家を見に行くのだ。昼下がりの田舎道は暑く、気持ちよいことだろう。

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ダッカに帰る道すがら、かろうじて舗装された幹線道路沿いには広々と水田が広がっていた。雨季の水田は鏡のように、白じらとした太陽を映し出す。ダッカを一歩出ると、田舎はどこも変わらない。
おんぼろのバスはガタガタ道に忠実に上下して、中にすまう私たち乗客を掻き回した。窓の外をひらひらと舞うやわらかな土埃が、建て付けの悪い窓のすき間を伝わって流れ入る。砂つぶは指に触れてこまかく、掌の皺にひそんで新しい。

朝の白に染められた空からまどろみが落ちてきて、私の腕を、肩を膝をこめかみを、じりじりと焼いている。呼吸は額の奥ふかくに宿り、圧して引いて、圧してしぼってを繰り返している。それは深夜の時計のように規則正しく、焦ってふるえている。額にしずんでじわりと熱く、ずしりと重い。
まどろみの本体は気づくと私の中からこっそり抜け出していた。夢や、夢のかたちをした記憶が私を身体ごとつつむ。

ここはどこだろうと私はつぶやいた。夢の中にいるような気もする。記憶の中にいるような気もする。ふわふわしたやさしいものが私の顎先に触れた。それは人のかたちのようで、ゆっくりと音をたてずに泣いているようだった。人間の額なのではないかと私は思った。額の奥には血が流れている。鎖骨のくぼみにそっと溜まった涙はしずかであたたかく、私はひとりだった。

遠いところで雨が降っている。川沿いの煉瓦積みの家にかぶさった、トタン屋根をやぶるばちばちの音。朝の暗い雨は勝手口からしのびこみ、台所の土間をしっとりと湿らせる。母は土間にぺたりと尻を付けて、ターメリックをすり潰す。木の棒の腹が染まって黄色い。同じだけ黄色いサリーのすそが母の足元にさらりと流れ、雨を吸い込んでいる。彼女らは昼めしの準備をしている。私は彼女らのごはんを外から見ることしかできない。触れることはできない。彼女らを観察する外ものでしかなく、旅人でしかなく、そうか、私は旅をしているのか。これから私は旅をするのか。そうだ、私は観察することしかできないのだ。だからせめて旅をするのだ。

始まりかけた彼女らの昼をさっとトタン屋根が隠して、涙はふたたび流れ出すを始める。今日もまた雨だわね。トタン屋根のうえには古い雨がたっぷりと降りそそいでいる。遠い昔から運ばれてきた誰かの涙のように、しずかに降り続いてやまない。まだ泣いているの。まだ泣いているよ。やっぱり私はひとりだ。

すうと風が通ったその瞬間に、曇ったバスの窓ガラスを撫でて雨が流れていた。それは涙のようにまっすぐな、雨季のはじまりの雨だった。空はうすら白く、雨をふくんだ風は私のまどろみの中の記憶をさっと切りひらいて、ふたたび私をバスの中へ落とした。朝は昼に切り替わっていた。過去はここにはなく、彼女らの生活はもはや私のものではなかった。顎の下には誰の寝息も聞き取れず、鎖骨のくぼみの涙は乾いた。私はたしかにひとりだった。

もうダッカだぞ、と誰かが怒鳴る声がする。ガッチャンと大仰な音がして、バスの扉がひらいた。車のクラクションとリキシャのちりんちりんの音が、土埃と一緒にうわっとバスの中に流れ込んだ。
そこはまぎれもなくダッカで、私はやはりまぎれもなくひとりで、そしてダッカは私のバスの中の夢の、延長にあるのみなのかもしれなかった。

それから3か月と半年の過ぎたある朝、目をひらくとテントのシートが白く照らされていた。そこはまぎれもなくナイロビの庭で、私は旅の途中で、まぎれもなくひとりだった。車のクラクションとリキシャのちりんちりんははるか遠くにある。それでもまだダッカは、私のテントの中の夢の延長にあるのかもしれない。

私は身を起こしてテントを這い出ると、タゴールの詩集を最後まで通し、最後から3番目の詩にしるしをつけた。それからぱたりと本を閉じて膝の上に載せ、目をつむった。表紙には、大木の枝葉を透かしたうす桃色の花びらが小さな影を落としていた。

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「わたしの人生のなかには、がらんどうでしんとした場所がある。それは、わたしのいそがしい日々が、光と風をはらんでいた空間」