Bangladesh000-Rajshahi(旧ブログ5)

バングラデシュ津々浦々シリーズその5 – 近い過去のこと(ガンジス川について)

2012.5.15

バングラデシュを訪れた友人にもうすぐフルーツの季節だと話していた。これから2ヶ月間、マンゴーとライチがめちゃくちゃうまい季節が訪れて、雨季の深まりと共に去っていくのだよと(あまり知られていないがこの国はいわゆる南国フルーツ大国で、シーズン中は異様に甘いマンゴーが1kg40タカ(=)とか50タカとかで手に入る)。季節の去り際に冷凍庫を持つ者は夏の味を惜しんで数キロ単位で凍らせ、冷凍庫が空っぽになる頃には夏の名残も忘れる。
缶詰にはしないのか?と彼は聞いた。
そういえば缶詰はないと私は答えた。そういえば、ない。夏が終わると甘いマンゴーは市場から消える。

IMG_6368-001

ここバングラデシュでは予想外のことが起こり続ける。バスは時間どおりに着かず、ボートはオイル切れを起こして水上で立ち往生。この取引、先週は出来るはずだった条件が、今週になると「状況が変わった」。
予想外のことが起こり続けるのはなぜか?もちろん一般化はできないが、ここではひとはそもそも予想というものをしないんではないか?そこまで話が進んでふと思った。予想をしないというのは、未来の概念が希薄だということなのかもしれない。もしくは未来へつながる場所を予測するのが一般的でないのかも。

過去があるからいまがあると、私たちは彼方からここまでの道すじに規則性を見つける。見つけた規則性を計算しながら、ここから向こうへ続きの道すじを描く。未来のあるべき場所の予測。たいていの場合、規則は大きく違えない。だって私たちの生きるいまは切れ切れの「いま」「いま」ではなく、次から次へ、貫く棒のごときもので結ばれた流れの一部なのだ。スチール製の棒はまっすぐに伸びやすやすとは曲がらない。
缶詰とは棒を辿ることであり、棒を曲げることだ。吹き起こってはたち消えてゆくものを、ぐにゃり曲がった棒でつなげるのだ。夏が終わってもマンゴーを残そう。押し流すものに逆らって、消えゆくはずの過去を未来へ残そう。

バングラデシュにおける缶詰の不在。彼らにとって果物とは重力の作用したあとのバラバラの「いま」だ。木の幹はそらへ伸びず、乱数のように地に転がる熟れたマンゴーは一過性の「いま」であってかまわない。切れ切れの「いま」であってかまわない。この流れのたどり着く場所を予測しなくてもよければ、押し流すものに逆らわなくてもいい。

そういえばひとは「インシャッラー(アッラーが望み給うままに)」という。アッラーが望むのならば出来るでしょう、アッラーが望むのならば生き残るでしょう、アッラーが望むのならば会えるでしょう。「この高速道路は出来上がりますかね?」「インシャッラー」「こんな建物じゃ地震起きたときひとたまりもないよ」「インシャッラー」「また会えるかな」「インシャッラー」
未来を予測するのも未来に歯向かうのも自分たちの役割ではない、地球は四角いことだし、流れ落ちる未来に自分たち人間は関知しないしできない。と、そういうことだろうか。

IMG_6355-001

ちょうど1年ほど前、5月も終わりに差し掛かったころ、中東の旅で出会った旅人の友人がバングラデシュを訪ねてきてくれた。
久しぶりに彼が背負うバックパックの重みが私にも伝わってくるようで、ダッカを無色透明の日常にしてゆるゆる浸っていた私もぴりりと襟を正す。私ももとは旅人だったからである。

ダッカ空港に迎えた彼は、天を仰いで嘆息していた。それは彼がこの町で過去に対面したからだった。埃のにおい、雨季のまえのむっと停滞した空気圧。狭いスクーターの中まで響くクラクション。そしてリキシャの移動。彼にとってのリキシャとは半年間沈没していたインドのことをあらわすらしい。
ときおりポッコリと姿をあらわす過去のようなものは、一見私たちのいまと無関係にみえながら記憶に結びつけられて色々な場所に潜み、ときおりポッコリと姿をあらわしてはいまの邪魔をする。爆弾は年々増え続けるが、その殆どは年々深い場所に落ちてゆき不発弾となる。結び目はどんどんボロくなっていつか切れるときを待つ。俺たちももう歳だし、ねえ?

「田舎に行こう」と私は言った。
「ガンジス河が見たい」と彼は言った。彼にとってのガンジス河とは半年間沈没していたインドのことをあらわすらしかった。

全長2506kmを東へ走る、長い長い旅をしている川だ。ヒマラヤ山脈を水源として北インドを抜け、ビハール州を串刺しにするとバングラデシュ西北部の街ラッシャヒへ結ぶ。最後はメグナ川と合流してベンガル湾へ流れ込む。
水源から河口まで、いったい何日かかって流れるのだろうと調べてもなかなか信頼できるソースがなく、「上流域では時速40-45Km?」などと出る。ということは下流域の流速はもっとゆっくりだろう。「赤ん坊のハイハイの程度」なんていう説すらある。
まあとにかく、ガンジスは生まれてから海になるまで、何ヶ月も何年もかかって旅をしているのだ。

IMG_6341-001

夜行列車はちょうど夜明け前の空のしらむ時間にラッシャヒ駅に着いて、私たちはすぐにリキシャを捕まえ、「街の中心部へ」というと宿を探し始めた。旅だね、と彼は言った。旅でしょ、と私も答えた。
リキシャは小道を抜け、朝の市場を抜けてメインロード近くの宿へつける。満室。私たちを下ろして走り去ろうとしていたリキシャを大声で呼んで再び飛び乗り、次をあたる。また満室。ちょうど休日に重なっているようで部屋はなかなか見つからず、私たちはやむなくLonely Planetをカバンの奥底から引っ張り出した。ラッシャヒの地図の中に記された宿はどこも私たちが断られた宿。使えないな。そういえばロンプラは使える国と使えない国と分かれた記憶があるな。そうだね、バングラのロンプラは歩き方よりは使えるが旅行人には劣る、旅をするならね。ふむ。

街のはずれ、ガンジス河の近くにひとつだけ宿のしるしがあった。政府観光局が各地に展開するポルジョトンという割高ホテルだ。Lonely Planet にはこうあった。「街の中心部から外れているが、ガンジス河が近い」
それは地図を見ればわかる、と思った。

「最後のひと部屋ですから」と彼らは私たちにスイートルームをあてがった。3600タカ。バングラデシュの地方のホテルとしては法外な額だ。部屋を準備するのに12時間かかるというので、私たちは朝飯を平らげると川へと向かうことにした。

河川敷へ向かう道は思いのほか長く、照りつける日差しは強い。だらだらと流れるように足を運んでも一向に河川敷は近づかなかった。
土手を上るとまっさらな空に川のようなものがみえた。剥きたての朝の太陽がまっしろで何もかも止まっているようだった。川のようなものもそうだ。すっかり干からびて対岸とつながり、その陸地のうえを人がこまごまと往き来している。そうか、ガンジスはここでいったん途切れているのか、と息を飲んだまま、ぴたりとした静寂。流れるのをサボっているのだか、かつて流れていたことを忘れたのか、流れようだなんて考えもしないのか。そこに水をたたえた川などなかった。蛍光灯のような明るさの下で時間が止まっているようで、妙にきもちが悪かった。
私たちは部屋に戻ることにした。眠かったのだ。通されたスイートルームは古びてはいたがエアコンがよくきいている、とにかく広い部屋だった。昼飯どきに起きようと約束して各々眠りについた。

汗が強くなってきて目が覚めた。冷房が切れていたのか無意識に切っていたのか。時計をみると既に昼下がりとでも呼べる時間になっている。分不相応にも日の沈む速度と川の流れる速度に追いつこうと、私たちは急ぎサンダルを突っかけると再び河川敷へ向かった。
土手の手前には小さな露店がいくつかあり、小麦粉の油にはぜる音と匂いが私たちに空腹を思い出させた。適当に選んで入った店で食べたルティとたまごとカレーはどれも油っこくてうまかった。

川に沿ってたくさんの売り子がいた。手始めに、ガヴァをひとつと、出始めのマンゴーをよつに切ってマサラスパイスをつけさせるもの。マンゴーはまだかたかったが、早くも甘かった。私はイガイガを吐き出して、マサラスパイスがない方がおいしいだろうとぼやいた。
川沿いにしばらく歩くと、川が干上がっているあたりに河川敷がせり出していた。ここに落ち着きますか。そうしますか。俺たちももう歳だし、ねえ?私たちは腰をおろすと広い川はばの向こう側をしげしげと眺めた。

IMG_6502-001

対岸には何もなかった。灰色の砂岸に生える申し訳程度の繁みと、だだっぴろい水田だか草原だかと、河川敷をのぼるほそい道。ほそい道にへばりつくようにして、龜を運ぶ女性たちが色とりどりのサロワカミューズをまとう。背景の灰色を帯びた緑に比べてなんとも不釣合いだった。その不均衡を許すまいと、空に見張りを立てる必要があるふうに思った。相変わらず川のようなものの流れは途切れているし、くすんだ青の空はどこまでもつづいている。

「もうじき雨季がやってきて、ここは全部川になる」地元の親爺がチャイを手にやってきて言った。「お茶飲むかい?」
「ありがとう」
「その向こう側はインドだよ」
「知ってる」
「川を遡ってもインドだよ」

私はなにを話すでもなくチャイをすすりながら、どこを見るともなくぼーっと座っていた。
その向こう側はインドだった。川を西に遡ってもインドだった。もっと遡るとビハール州があり、私の行きそびれたバラナシに届くはずだ。

私をとらえる過去というものはいったいなんなんだろうか。行くはずだったバラナシ?バタフライするはずだったガンジス河?過去は可能性ではありえないのだろうか。目に見えないものは須らく形のないものなのだろうか。だって私はインドのガンジス河に行っていない。では私の行ったインドのケララは残っているのか?ゴアは、ムンバイは残っているのか?いちど目に見えたものは須らく形を残すのだろうか。

友人もなにを話すでもなくチャイをすすりながら、どこを見るともなくぼーっと隣に座っていた。ガンジス河とは彼にとっての過去なのだろうか。半年間の沈没の記憶は他の場所にいるはずだった彼を排除したもので、それは可能性なんかじゃなくて、確固とした歴史の形に残っているのだろうか。なのだとしたらふわふわしているのは私だけか。
私たちは西南西の方角を見ながらなにを話すでもなくとにかくぼーっと座っていた。

数時間も座っていただろうか。あたりがさわさわとしはじめ、風が出てきたかと思うと、ふいに夕陽がおりた。
なにか赤黒いおぞましいものが急に空の色を変えたらそれが夕陽だったのだ。

空の下には舟があった。バングラデシュの人だかインドの人だかを立ち乗りでぎゅうぎゅうに詰め込んで、ゆっくりと川を上る舟があった。細い舟はその身体と同じくらい細い跡をすいと水面につける。そっちはインドだ。インドへ遡るのか。舟はその小さな身体で川の流れに逆らおうとしていた。

IMG_6516-001

ひとはかくも、と私は思った。
押し流すものに逆らおうとするのが自分たちの存在の理由だといわんばかりに、すぐに遡ったり追い抜いたりしようとする。
いまや夕陽は空を染め、川面を染めていた。川面はのっぺりと赤く塗られて鏡のようだった。
私は小舟の向かおうとする川の上流に思いを馳せた。そこにあるべきインドと、そこにあるべき過去を思った。しかし思い浮かぶ記憶もなければわき起こる感情もない。目の前でちょうど途切れた川のようなもの。大きな断絶があるだけだった。

夕陽がぶるりと震えて川むこうにおちた。刻印の音がする。私の前にあるいまに、圧倒的に赤い色を付けるその音はもしかしたら私にしか聞こえないものなのかもしれなかった。
こうして現在をいっこまたいっこと凍結して缶に詰めよう。その缶詰をそっと川の表面に置いて、押し流す川にささる楔として残ることを願おう。過去と「いま」の間に遥かなる断絶があるのと同じようにこの缶詰が、流れたり途切れたりする川のようなものを無視して、ここにとどまってくれることを願おう。

宿へ戻るとすっかり夜で、旅の連れはそれからひどい下痢でまる2日を寝込んだ。その夏ラッシャヒでマンゴーを食べることはもうなかった。

IMG_6539-001

あれから1年が過ぎ、私はガンジス(河とその他の川の交ざった流れの)河口のノアカリ県南端からちょうど海に出たところにある、ハティヤという島に来ていた。夕暮れまえ、湿原ともいうべき海の淵に橙いろの夕陽の尾っぽが落ちて明るい。風が出てきたので、鞄を岩の上に置いて泥に足を踏み入れた(先へ進む為には踏み入れざるを得なかった)。
くるぶしがあたたかい泥の境目に触れると小さな眩暈が私を襲った。
この海がかつて川であったところを思い出したのだ。かつて川だったところに映った真っ赤な夕陽を思い出したのだ。鏡のように赤く塗られた川面は凍結したままゆっくりと流れてきた。

缶詰だ、と思った。まだ思い出してはいけない、いま開けてはいけない。流れに抗って私は缶詰を開けまいとこらえた。そこにシャボン玉のぱちん。いちどの瞬きでふたが開き、純粋な夕陽の赤は湿原の橙に取って代わられた。そこにあったのは紛れもなく2012年の湿原の夕陽で、そこに立っていたのは紛れもなく2012年の私だった。

私がラッシャヒの川むこうに放り込んだ夕陽がここに流れ着いてきたのだった。過去のようなものがポッコリと姿をあらわしては私のいまの邪魔をしようとしたのだ。しかしそこにあるのは過去とは違うものだった。今日の夕陽の橙は、もはやラッシャヒのガンジス河でパチリ刻印された時間ではなかった。
まるで浦島太郎の箱だ。開けた瞬間にひゅんと彗星の勢いで未来が流れてきて、楔もろとも過去の中に押し流す。1年前のものなら1年分、10年前のものなら10年分。

あの夕陽が川底に楔として根を下ろすことはなかった。あの夕陽は朝のしろさに消され夜のくろさにまぎれを繰り返し、時速60分で海へ向かって少しずつ旅をしていたようだった。
バングラデシュにおける缶詰の不在。缶に詰めたって川のようなものに抗うことはできない。行く川のながれは絶えずして、いま私たちの目に映る水ももとの水ではない。どうせここは過去が過去のまま流れ着いた場所ではないのだ。

IMG_2479-001

またマンゴーの季節がやってきた。今年は4月に雨が多く降ったから熟れるのが遅くてなあ。いやいやじゅうぶん甘いよ?ありがとう。
バングラデシュ人のお宅で出された早めのマンゴーは生まれたばかりの去年のマンゴーではなかった。去年河川敷にマサラスパイスを吹き出したマンゴーから、きっかり1歳、歳をとっていた。こうやってマンゴーたちはもう既に何年も歳を重ねているのだった。
時間の流れに逆らうこともなく、追いつくこともなく。時速きっかり60分で進む川のようなもの。

来年のマンゴーは早いといいねなどと人はいう。そこには缶で詰めた未来よりももっと先の未来があった。