0-記憶の救出(訪れた118か国のこと)

今でも折に触れて旅をしている。アジアアフリカにいつつ、仕事での滞在とは別に、新しい街との対面や大がかりな移動を含んだひとかたまりの時間を旅というとすると、私はまだ旅をしている。もうそれは、前みたいに大きな旅ではないけれども。

コーカサス地方から東南アジアに戻ってきたが、アゼルバイジャンが人生118か国めで、その118という数字には意味はないのだが、もうだいぶ前から旅の記憶は混交して相互にやり取りを始めているのを知っていたから、今ある状態でとりあえずすくってフリーズさせてみるのも一興という気がしてきた。


コーカサスはロシアっぽくもありイラントルコその他中東イスラム圏っぽくもあり東ヨーロッパっぽくもあり騎馬民族っていうかシルクロードっぽくもあり、たしかにそれらの地域の影響をモザイク的に受けていて、私は混乱すると同時に、いつもどこかで懐かしい気持ちになっていた。アルメニアのエレバンの街角はすこしカザフのアルマトイに似ていた。懐かしさのまっただ中にぽかっと穴のように現れる記憶に、挟まってみると心地よく、気づくとまたひとつ下(なり上なり)のレイヤーにワープしていて、私はもういちど、アルマトイの街を追体験していた。フィジカルな移動の旅とともに、果てしないワープの旅を楽しんでいた。

潜った先の第一レイヤーには川が流れていて、私はその水面にあおむけになって、半分まどろみながらただ流されている。滝が近づいているが、すべり台のような滝のおもてに入る前に、睡魔のようなものにクンと後頭部を引っ張られると、また次の、第二レイヤーの川の上へ落ちている。空は青く照り、そのまぶしさに、空というのは私がさっき落ちてくる前の川だったということをすでに忘れている。でもすべてつながっている。ということは知っている。空をたどるとふたたび現実があるはずだということも知っている。

Jpeg昔の地図

たくさん行って分かったこと(今のところ分かっていること)

・世界は広いが私の生きている世界はせまい。

どれほどたくさんの場所に足を運んでそこに生きている人たちとしゃべって一緒にご飯を食べたり酒を飲んだり踊ったりなどしていても、仕事までしていても、通じ合う瞬間というのはあることはあるが、そこのものの見方にほんとうになれるというわけではない。

 

・私(たち)の「知っているふうな世界」はたくさんのパーツがまるごと欠落している。

アゼルバイジャン人が、アルメニア人からのジェノサイドがあったという話をする。その人は、アルメニア人がトルコ人からのジェノサイドがあったといっている、という話をよく知らない。そしてそれらを、まるごと私(たち)は知らない。

なにが本当のことかなんか突き詰めるとどこにいたって分からないけれど、本当かどうかというきっかけすら、知らない。パーツの欠落すら見えない。

 

・世界はどんどんランダム性を排除している。

すべての在り方が均質化しているというわけではないが、ランダム性をすこしずつ排除できるようになっている磁力がじょじょに増しているからランダム性を排除している。旅に出ることでランダムさの中を浮遊していることを思い出すことができると昔は思っていたけれども、もはやそうでもなさそう。旅にも予定調和があり、予定調和の割合は日に日に増している。良いとか悪いとかではない。10日前にどの町でどの車に乗っていくら払ったかが分かるし、なんなら忘れ物の問い合わせすらできる。ときどきUberを使うのがいやになって通りがかりのタクシーを拾う。

 

・世界にはやっぱりいろいろな人たちがいるっぽい。

でも、まったく違う人たちだと思うことはなくなった。(前はエチオピアの民族がくちびるに皿を入れるのとかみて意味不明だとか思って、「価値観は人それぞれ」とか言っていた)

(逆に、日本で従来慣れ親しんでいた(はずの)様式を意味不明と思うこともある。それは出発点の違いというかデフォルトがあるから余計そうなのかもしれないし、自分が日本にいなくてそう思っているだけなのかもしれない。「価値観は人それぞれ」とか言っている)

 

・同じ記憶で束ねたら、同じ場所になる。(世界はまるい)

ジョージアの山間とレソトの山間は隣同士だ。コートジの空とイスラエルの海辺はひとつなぎだ。インドネシアとマダガスカルは新旧だ。バングラでしばく茶とマダガスカルでしばく茶は同じ味がする。イタリアで一緒にいる人とミャンマーでも一緒にいる。カーボベルデはブラジルだ。

コーカサス3国を旅するとギアナ3国とバルト3国のことを思い出して歩くのでほとんど9か国を旅していることになる。というか私はほぼ百何十何か国をひきつれて旅している。記憶はバックパックの100倍重い。

Jpeg昔の地図2

そういうわけで、多く旅したからといってなんの成長もないが、「今」から記憶を下っててきとうに書き残すようなことをしばらくやってみようと思った。毎週書いても2年半。重い。記憶は重いのだ。だから流れていく。

今の地図