1-コートジボワール(反転する家)/ Côte d’Ivoire

Côte d’Ivoire. The place I’ve stayed (and worked) the longest in West Africa. Enjoyed the hustle in the big city of Abidjan; the calm afternoons in the coastal villages; and the gigantic church in the capital Yamoussoukro. Food, dance, new hairstyle, tailoring Ivorian dress, and all the friends I have met (and work of course). Always missing them all. / 2013, 2017, 2018

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3度めのコートジボワールのことを思うと、まず住んでいた家のベランダのことを思い出す。あそこに座っているときに私はいったいどこにいたのだろうと考える。

まだ空の明るい夕方5時に、シャワーを浴びて、ベランダにソファを動かす。ソファの中にくるりとまるくおさまって、朝の間に作っておいたつめたい麦茶をひとすすり、2階から中庭を見おろす。痩せた鹿がのろく草を食んでいる。
庭にはまだ昼の名残りがあり、ただ風の中に、太陽の熟れたにおいがからんでいる。風も一緒に熟れている。小鹿の近くに座る掃除夫も、のろりと草の上で動かない。シャカシャカと西アフリカ的なリズムだけが遠く、流れている。私はあたりの空気の流れと同じくらい愚鈍に、借りた本を読んでいる。すこし昨日のことを思い出す。すこし未来のことを想像する。いまの自分を、空想の中で見る。また本の中に戻る。夏だなあと思う。何かがキラキラしている。何かよく分からないものが。

ソファは私の身体すべてをちょうどつつむ大きさなので、私は背を完全にもたせかけると、もういちど、まるくなって自動的に空を見上げる。白い空にうすくピンクがかかり始め、ぼんやり。そのうちに頭の中に滞留していた考えたちはうすくなっていき、昨日のことも明日のことも消えていく。私はただのたりと空を眺め、じいっとしている。空に小さな穴があき、夕暮れの空がほんのすこしざわめき始める。

黒い粒が一列、私の空をななめに横切る。すこしずつ数がふえて、さらさらと音をたてる流れになる。みんな同じ方向に向かっている。それは北の空の方角であろうと思う。じっと、身じろぎもせず、目をひらいて眺めていると、2001年の宇宙の旅がおとずれ、白い空に黒い星がまるで穴つぶのように空いているという時代ないし空間があらわれ、そこはどこでもないしどこでもあるのかもしれない。私は空が真っ黒に塗りつぶされるまで、コウモリたちの帰路を見る。

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アビジャンには去年よりも少し長く、また初めて旅で訪れたときよりはずっと長く、滞在していた。

期間は長かったし仕事があったので、その分、繰り返されることも多くてそれは私の時間の中のその期間が一時的に、日常に近づいているということで、退屈に対する不安と退屈に対する安心は表裏一体であって、億劫さは増していくようだった。だいたいのことは億劫さとの闘いであるように思い、ああそれは今までもそうであったしこれからもずっとそうである。むしろもっとそうである。というふうに気づく。

家は日常の象徴であり、ベランダは日常の中にある非常口であった。
コウモリの帰り終わった空は、ごうんと音を立てながら動いている。夕暮れどき空をひたしていた淡いピンクがじゅうじゅうとあぶられてまるで波のはじけるように、いっせいに紺に溶けたときに私は、動いているのは私のいる場所のほうだと気づく。

目がさめると、家はまるごとすっかり闇の中にしずんでいる。ちいさな2階の部屋に、ぼうっとオレンジ色の灯りがついていて、そのうす暗い灯りを頼ってスパゲッティをゆでた。ときどきふたりとか3人とかでワインを開けた。

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