Israel/Palestine. A few sunsets soaking my 25-year-old soul. From a hill in Jerusalem and from the beachside in Tel Aviv.
その夕方、寄せては返す波の際にくるぶしまでひたりながら、きっとこの感覚はずっと忘れないだろうという予感があった。ということをたしかに今でもおぼえている。
私は25歳になったばかりで、就職目前だった。今夜私は帰国便に乗る。つまりこれは私の旅の終わりであるとともに、私のモラトリアムの終わりでもあり、さらに私の人生にあるもっと大きなものの終わりである、とかなんとか、大げさなセンチメンタルで胸をいっぱいにして、私は夕空の前に立っていた。
東ヨーロッパを回る平凡な卒業旅行として始まった旅が、トルコを越えて中東を南下しているうちに何か特別な旅になっているという感覚があった。シリア、ヨルダンの乾燥した平原を下りながら、私はまるで身体に刻み込むように、シーシャの煙の流れてくる街角や、夜の屋上を満たす乾いたそよ風、バックギャモンの木箱の手ざわり、日差しにあおられたペトラ遺跡のピンクやバスの車体にこびりついた砂の街の色を、つぎつぎに記憶していった。
ここは狭間であるという、旅の中で明滅する木漏れ日のような感覚に、うっとりと身をひたし、どんどん、分厚い食パンを食い散らかすように急な坂を駆け降りるように歩を進めて、旅の道はどこまでもどこまでも、ひらけているような気がしていた。
テルアビブが最後の街だった。旅の友人と海辺で遊んだときにアイスクリームを買ったこと、宿の屋上でカレーをつまみに飲みながら流したジョンレノン、踊ったクラブの黒い壁、現地の友人と飲んだバーのよく効いた冷房、10年も経つと記憶は削られてだいたいそのくらいしか覚えていない。
でも、海辺でたむろする現地のおじいさんたちにプラスチックの椅子を借りたときに、交わした言葉はだいたいおぼえている。
「日本人のお嬢さん、空を見上げてごらんよ。あれは渡り鳥だよ」
「鳥たちはどこへ飛んでいくの?」
「地中海を越えて、アフリカへ行くんだ」
「アフリカ」
「わしらも渡り鳥になりたいなあ」
「私もです。どこまでも飛べるような。みんなそうでしょ?」
「どうかな?」
夕暮れのこっくりと濃くなってくる黄昏どき、鳥の渡る空と、足首を握りしめる波の表面とにはさまれて私は、出口があることに気づいた。ギイギイと出口を閉じた。それはこの黒ぐろとした波間のむこうにかすかに光って見える地平線のことかもしれなかった。またこの出口が入り口になるときに、平らな海と夕空を思い出すことでしょう。そういう気もした。