旅の反省文(その1)

旅人の資格1.おなじものを食いおなじものを飲むこと

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郷に入っては郷に従え。旅人というものは、そりゃあ、土地のものを食い、土地の酒を飲まなければいけない。そうやって行く先々のもので身体と心を作っていくというのは、旅人の変身願望を満たしてくれる、とてもわくわくすることである。

だから私はインジェラだって平気だ。そう、ぼろ雑巾の上にゲロと形容される、悪名高いエチオピアの主食だって。

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旅の反省文(その0)

旅にはたくさんの興奮や感動やトキメキが宿っている。それはそのとおり。

そのとおりなんだけど、そうはいっても実際の日常はいいことばかりじゃなくって、泣きたくなったり(泣いたり)、キレたくなったり(キレまくったり)、自己嫌悪に陥ったり不安になったり生きててすみませんの連続である。でもまあ人生だっておんなじで、反省だらけ懺悔だらけの恥の多いやつをそれでも32年も生き延びてきちゃったわけだから、しょうがないよね。と思って心をしずめる。

旅も終えて1年が経つと、記憶が平らになって、「楽しかったなあ」も「大変だったなあ」も「もう死ぬ、今日死ぬ」も、「うん、生きたなあ」のひとフレーズに収斂してくる。
旅が順調に行っていた場所も、超大変だった場所も、ひとしく、旅らしく、いい思い出。
そう、虫にやられて苦しかった東アフリカの旅も、吐きまくって死ぬかと思った西アフリカの旅も、早すぎて見えなかった中米の旅も、孤独で不安だったギアナ3国の旅も、今やいい思い出です。やっといい思い出になりました。やっと。

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旅をした2年間のことを、あれは一体なんだったのだろうとずっと考えていて、あれはやっぱり憧れだったんだろうなと、そう思うに至ったのが、やっと最近。

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Ferry back home / 帰る

帰省の船は、体育倉庫のにおいがして床がびっしりとバングラ人で埋められていて天井が低くて息が詰まるけど、それでも、気怠い安心感に満ちている。だってあとは、帰るだけなんだ。

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Neighborhood inhabitant vol.2 / 線路沿いのスラム

「ここが、一番強烈だわ」
日本から遊びに来た友人が言った。
「オールドダッカよりも?」
「うん」
「川で小舟に乗るよりも?」
「うん」
「どうして?」
「だって、ここには生活があるじゃない」
彼女はつづけた。
「なんか、映画の中にいるみたい」

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Seasons go by / 乾季の朝に

ダッカの空気は分厚い砂塵でびっしりと覆われていて、気まぐれの雨でもなかなか流せない。乾季の終わりの3月にはそこらじゅうで工事がされて、道の舗装がそのまま空気に舞っているくらいの密度で、顔に痛い。目に痛い。肺にも痛い。
雨季になるとざばざばと降る雨で砂塵は洗われ、クリアになった空気は逆にかび臭い水を含んでむしむしと暑い。側溝の下水があふれて川ができて、帰宅後の足はいつもどぶのにおい。しかも蒸し暑さから電力消費量が増えて、毎日停電だ。

どっちもどっちなんだけど、ひどい気管支炎を患って私は雨季を待ち焦がれるようになった。
胸じゅうにねっとりとした痰のへばりついて、息もろくにできず、苦しくて不安で仕方ない長い夜を過ごして、私は朝がやってくるのをなにか神々しい気持ちでとらえるようになった。ぜんそくの人はこの痛みに耐えて大きくなったのかと思うと、ぜんそくの人に心やさしい人が多いのもうなずける。

蒸し暑くてもどぶくさくても、雨でぬれても空気がきれいな方がいい。雨季よ。はやくやって来い。

2015.3.13

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He made his own chai / 歩くチャイ屋

ここはどこにでもあるチャイ屋さん。でもとびきりおいしい生姜入りチャイを売るおじさん。リキシャ引きも学生も、建設作業員もスーパーのおじさんも、身なりのいい人も汚いかっこの人も、ときには外国人も、5タカ払って分け隔てなくチャイをすする場所。

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Sadar Ghat / 渡し舟

友人が来バすると私はいつも、ダッカの南端を画するこの川で渡し舟に乗せる。オールドダッカはブリゴンガ川で行き止まりになっていて、渡ったところからダッカの隣町になるのだ。
連れてこられた友人はみな口をそろえて「やばいね」「やっばいね」と言う。私も最初に来たときはやばいな、やっばいな、と心中唱えていたはずだけど、もうそのやっばさを忘れてしまったので、一緒に追体験する。たぶんそのやっばさは、渡し舟という彼らの生活の一部にフィクション性があるということなんだと思う。たぶん。いや、ほんとかな。
だってある人は「昭和の日本を見ているようだ」と言うし、ある人は「将来ここはどうなっているのだろう」と言うし、「舟が虫のようにみえる」と言うし、「まるでアトラクションのようだ」と言う。「これで毎日通勤してるんだね」とか「5分や10分で渡れるんだね」とか「あ、あのおじさんは買い出しの帰りかな」とか言う。それからみないつも口をそろえて「どぶのにおいがきつい」と言う。

私はよく桜島のフェリーを思い出す。錦江湾を桜島に渡るフェリーはきっかり15分で、船はもっとたくさんの人が乗れて中に立ち食いうどん屋さんもあった。だから船自体は全然違うんだけど、なんだかその生活感の中にある非現実性を、対岸にたどり着いた接岸時の、カチッと違う場面に切り替わる平成の日本での不思議な感覚を、思い出しながら一緒に「どぶのにおいがきつい」と言う。

 

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Place for lunch I frequent / 行きつけのカレー屋

ポッダというのはおそらくバングラデシュのカレー特有の、野菜をマッシュしてカラシ油でこねてまとめた前菜だ。行きつけの店では団子状になって出てくる。
えび、魚、小魚、青菜、トマト、ナス、ポテト、バナナ(あまくないやつ)、なんてのがまるっこくぽこぽこと皿に盛られて、出てくるだけでなんだか楽しい気持ちになる店に、私はときどきお昼を食べに行った。

お昼早く着きすぎるとポッダはまだ8種勢ぞろいしていなくて、遅く行き過ぎると人気で売り切れている。2時とかの程よい時間帯に行って厨房を覗き込み、やいのやいのしゃべりながらポッダを出してもらうのがとても愉快だ。おまえはやせぽっちなんだからもっと食え、食えと(ほんとうはそんなに痩せていないけど)、ぺちゃくちゃしゃべりながらその日のおすすめのおかずを出してもらうのが愉快だ。夜がた店の前を帰っているとおかえりーと店に招き入れられてチャイをおごってくれたりするのも嬉しかった。

たとえ短期間でも住むことと、旅の途上に滞在することとの違いは、きっとこの行きつけ感と、名前を覚えてもらう感と、知っている人ができる感だ。逆にいえば、すべての旅が、心の逃げ場になるようにと祈りながら私はたくさんの町をすり抜けてきたのかもしれない。

ちなみにこの店の魚のさつま揚げ、通称クフタも、美味い。ビールがないのがほんとうにほんとうに悔やまれて、わざわざビールに合わせるためにテイクアウトするくらいに、美味い。

2015.3.12

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A tea stall I frequent vol.3 / 行きつけのチャイ屋3(平時)

火事で燃えた行きつけのチャイ露店が復活してた。まだ骨組みだけだけど、本日は家族そろって新装開店。生きるのだあすも:)

2015.3.9