旅の反省文(その1)

旅人の資格1.おなじものを食いおなじものを飲むこと

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郷に入っては郷に従え。旅人というものは、そりゃあ、土地のものを食い、土地の酒を飲まなければいけない。そうやって行く先々のもので身体と心を作っていくというのは、旅人の変身願望を満たしてくれる、とてもわくわくすることである。

だから私はインジェラだって平気だ。そう、ぼろ雑巾の上にゲロと形容される、悪名高いエチオピアの主食だって。

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エチオピアに入ってすぐに田舎に行った。山がちな田舎道は南に下るにつれて湿気を帯びてきて、心なしか緑のいろが濃くなっていくようにみえる。
屋外で食べる昼ご飯はブッフェだった。最初のお盆の上には、まきまきして出てくる灰色のおしぼりが何本もある。うむ?
隣を見ると、おしぼりをひとまき、掴み取ってはらりと広げている。なるほど、これがインジェラか。人は流れ、ふかふかの雑巾のようなおしぼりの上に、次のブッフェトレイから泥っぽい離乳食を乗っけていた。

振り返れば、そのときのおしぼりとの最初の邂逅を私は「悪くない」と形容している。
たしかに、おしぼりをクレープと思えば、悪くない(食える)。でも、クレープはふかふか雑巾の酸っぱいスメルを放っていた。
たしかに、おしぼりをおかずの一部だと思えば、悪くない(食える)。でも、おかずをしみこませてふき取る感触はやっぱり雑巾に似て、どろどろに煮込まれた肉や野菜とともにほろりとくずれる歯ごたえは、食道壁までさわった。

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いや待てしかし、おかずもおかずだった。野菜はどろどろだし、肉は獣臭が半端ないし、魚はそもそも置いてないし、あっても泥のにおいのついた川魚。けどこれも、慣れると獣臭や泥臭がたまらず、インジェラの酸っぱいスメルと打ち消し合うどころか相乗効果でもっと強烈な生き物感を醸し出して、まるで獣の胃袋に押し込まれたような錯覚に陥った。全般的に、ハードセックスのような食生活であった。まあ、ゲテモノ食いですね。

この食習慣はエチオピア限定らしい。「世界の主食」と題する地図が米や麦や豆の赤青黄色で塗られている横で、エチオピアだけは「テフ(インジェラの原料)」などと謎の色で塗られている。この習慣が世界を席巻していなくて本当によかった。席巻していたら別にハードだと思わないのかもしれないけど。

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さて、エチオピア最後の田舎行幸は2012年末だった。
田舎へ向かう道すがら、路傍の店で1ヶ月ぶりにインジェラを食べる。食べるよーローカルフード!旅人だからねー!とか言いながら。
いつものように雑巾をちぎり、泥のような離乳食のおかずを拭き取る。その酸っぱさ、みてくれ、舌ざわりに懐かしい気持ちがつんとこみ上げる。懐かしい気持ちと一緒に胃液のようなどろりとした不快さもこみ上げて、ウッとなってそのときに思う。
「飽和量、きました。正直そろそろむりです」
そう、飽和量だ。インジェラを摂取すると回復に時間がかかるのだ。まるで毒だ。私はそのとき、もう回復できないというところまで来てしまったのだ。エチオピアでは田舎にいる間はずっとインジェラを食べていたわけだし。

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それから2年半が経った。私は一周3kmのちいさな島にいて、暇を持て余していた。スーツケースの中には8冊の日記帳。旅立ち前夜から始めて、エチオピアの日記は2冊めだった。

当時の日記帳を読むと、つくられた記憶の中にこぼれたナマの経験、みたいのが浮き上がってきておもしろい。そのときはなんとなくごまかしていたことも、紙のすきまからふわっとあらわれて、新しい顔をみせる。エチオピア人の名刺は角が擦り切れて四角の形をなしていないし、書き損じた葉書や、途中であきらめたままの似顔絵には悲しみが宿っている。
でもこういうがらくたみたいなものの中に、真実は宿るのだ。きっと。

エチオピアには合計50日を過ごしていた。ああ、エチオピア。大変だったなあ、あのインジェラ祭り。田舎いるときはいつもインジェラ祭り。なんて思いながら、戯れに日記帳に記されているインジェラご飯をピックアップしてみる。暇だったのだ。
10/26昼、27夜、29夜、31夜、11/9、17、25、26。一ヶ月飛んで、12/28、29・・・。
何度数えても、インジェラを食べたのはエチオピアにいる間たったの
10食であった。

滞在50日で、飽和量10食。

前言撤回。郷に入っては郷に従え、ませんでした。軟弱ですいません。
げに旅人への道は遠いものであります。反省反省。

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※エチオピアのはなし
ハニーワインと生肉と私(2012.10.29)
ケヤファーの市場(2012.11.2)
ハラール旧市街の色(2012.11.25)
好色一代男(2013.1.3)

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