旅の反省文(その0)

旅にはたくさんの興奮や感動やトキメキが宿っている。それはそのとおり。

そのとおりなんだけど、そうはいっても実際の日常はいいことばかりじゃなくって、泣きたくなったり(泣いたり)、キレたくなったり(キレまくったり)、自己嫌悪に陥ったり不安になったり生きててすみませんの連続である。でもまあ人生だっておんなじで、反省だらけ懺悔だらけの恥の多いやつをそれでも32年も生き延びてきちゃったわけだから、しょうがないよね。と思って心をしずめる。

旅も終えて1年が経つと、記憶が平らになって、「楽しかったなあ」も「大変だったなあ」も「もう死ぬ、今日死ぬ」も、「うん、生きたなあ」のひとフレーズに収斂してくる。
旅が順調に行っていた場所も、超大変だった場所も、ひとしく、旅らしく、いい思い出。
そう、虫にやられて苦しかった東アフリカの旅も、吐きまくって死ぬかと思った西アフリカの旅も、早すぎて見えなかった中米の旅も、孤独で不安だったギアナ3国の旅も、今やいい思い出です。やっといい思い出になりました。やっと。

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旅をした2年間のことを、あれは一体なんだったのだろうとずっと考えていて、あれはやっぱり憧れだったんだろうなと、そう思うに至ったのが、やっと最近。

私は旅人になりたかったのだ。もうずっと前から。高校生が大学生になりたかったりするように。弁護士になりたかったりする大学生がいるように。
大学で何を学びたいかとかじゃなくって。渉外分野で契約書を作りたいとかじゃなくって。旅で何をしたいかとかじゃなくって。

自由で、孤独で、タフで、訪れる土地の人とおなじ酒を飲みおなじ飯を食い、思慮深くて正直で、無計画で。決して怒らず決して焦らず、勇気があって、毎日をめいっぱい楽しんで。
旅先から何枚も葉書を書き。トラックの荷台に乗り。バックパックを投げ出して道端に座り、たばこを吸いながら何時間でもバスを待ち。そしてきちんと生き延びる。

私が旅に出た理由は結局は、そんなふうな正しい旅人への、憧れなのでした。
旅を通して何かを達成する、とかじゃなくて、旅をするという状態に対しての、憧れ。

「だからといって正しい旅人の資格、なんてものを語る資格が私にあるのか、わからない。旅を完遂したところで、それはやはりまだ、ただの憧れに過ぎない」と、当初は旅人の資格について語ろうと思っていたのに、書き始めたらただの失敗談シリーズになってしまって、私はなんだかちょっと、楽しい。

旅の反省文。全10回くらいで。

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※旅の終盤に考えたあれこれ
僕らが旅に出る理由2
(2014.5.25)
旅の意味(2014.6.25)