旅の反省文(その2)

旅人の資格2.勇気を持つこと

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それから2年と少しが経ち、私はインドネシアの小さな島で暇を持て余していた。
島を抜ける風は潮の中に緑のにおいを含んで、その日のお昼は宿の女主人と私のふたりだった。
「日本は、民主主義なの?」「子供たちは、働かないで学校に通えるの?」「それほど、ゆたかなの?」「日本軍は、インドネシアに来てひどいことをしたんでしょう?」
もう60を過ぎたオランダ人の彼女の言葉には、無邪気な差別表現が含まれていて、私はげんなりしたけど、バンガローに戻る道をぺたぺたと歩きながらふと思った。それは差別主義というより、無知なのである。だって同じように、私もまた「アフリカ」という大陸に対して無知な先入観を抱いていたから。

裸足の足の裏がちくちくと熱かった。

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アフリカといえば、思い浮かべるもの。貧困。エイズ。紛争。虐殺。

ルワンダのイメージはまさにアフリカに対するイメージそのもので、なぜならばルワンダといえば20年前に大虐殺があったという国だからだ。でも今は安全と聞くし、むしろそういうイメージの中に在るルワンダに行って私は何が見えるんだろうかなんて、野次馬気分で入ったのは首都のキガリだった。
そうしたらキガリはあまりにも綺麗で、整然としていて、人もおとなしいものだから、肩透かしを食ったというわけだ。ほんとうにここが、20年前に大虐殺があった町?なんて言って。
私に肩透かしを嫌がる資格なんてないのに。ここに未だに虐殺の血の跡が残っていていいわけないのに。

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南部の町ブタレには、美味しいコーヒー屋さんがあった。パナマ人のマリオがやってるコーヒー屋さん。実はルワンダは美味しいコーヒー豆が取れるのだ。コーヒー屋さんの前の通りはいつも、よいにおい。
ブタレの近郊には虐殺記念館があって、千人規模の骨とミイラが安置されていた。それはおびただしい数の、虐殺の被害者の遺体。安置所に一歩足を踏み入れると、石膏の乾いたにおいの中に、饐えた時間のにおいが紛れていた。このにおいを、覚えてしまったな、と私は思った。

ブタレで1週間を過ごしたのは、ルワンダ・コーヒーを飲みながら、ルワンダ虐殺の本を読んでいたからだった。フィリップ・ゴーレイヴィッチの書いた「ジェノサイドの丘」という(わりと一方的な)本だった(あと、服部総裁の本も読んだ)。
「ルワンダで起きることはすべて、ジェノサイド(大虐殺)の文脈で語られる」と、その本には書いてあった。

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ルワンダ大虐殺は、当時政権を握っていた多数派のフツ族が、少数派のツチ族を虐殺したという事件だ。単純化すると。
被害者は3ヶ月で50万人とも100万人とも言われている。

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3ヶ月で、今の大統領カガメさんがあらわれて、紛争を収める。今はフツ族・ツチ族という呼称は廃止されて、民族は融和し、平和に暮らしている。
ルワンダ人本来の真面目な性格も手伝って、経済成長は著しく、IT立国を目指した現ルワンダは、アフリカのシンガポールと呼ばれる。
ふむふむ。めでたし、めでたし。

の、はずなのだが、違和感の種はいたるところに蒔かれていた。
虐殺記念館はあまりにも一方的なフツ族disりだったし、傍聴に行った裁判所で見た裁判官は、いかにもツチ族出身といった風情の細面。ちなみにイケメン。
警察もツチ族。政府の上層部はツチ族。そしてカガメ大統領は、ルワンダ紛争を収めた英雄、やり手のツチ族だ。彼の開発独裁なくしてはルワンダは今ここまで発展していない。
そして、ここはどこで誰に見張られているかわからない監視社会だという。ツチ族政権の批判は大っぴらにできないのだとか
なんだか、今のルワンダはツチ族の国のようだ。

ぶるりとふるえる。歴史はまた繰り返すのだろうか?支配民族がフツ族からツチ族に代わったというだけで。

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しかも、ルワンダの公用語はキニアルワンダ語(現地語)とフランス語(昔はベルギーの植民地だったから)かと思いきや、なんと今は英語も公用語だという。のみならず、ルワンダは英連邦に加盟しているという。英連邦ってのはふつう、イギリスの旧植民地が加盟するもんだ。
どうやら、最近のルワンダは英米に接近しているようだ。もっと正確にいうと、現ルワンダを牛耳るツチ族たちは。

じゃあフツ族たちはどこへ行ったの?
そんな小さな疑問が、めくるめく泥沼のアフリカ中部の一端を想像するきっかけとなった。

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ルワンダ虐殺の後に撃退されたフツ族たちは、西進してコンゴ東部へ向かった。難民となった彼らの中には、虐殺の加害者もいれば、単にフツ族だということで国を追われた人たちもいた。彼らはコンゴ(当時ザイール)の大統領モブツとむすびつく。
カガメひきいるツチ族の新生ルワンダは、フツ族を追ってコンゴへ分け入る。そしてカビラというコンゴ人ひきいる現地の反政府組織(AFDL)とむすびつき(ウガンダも一緒)、モブツを追い落とすことに成功する。クーデターだ。

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ところがその後、モブツの後に大統領の座に収まったカビラはルワンダ・ウガンダ勢力を国から追い出そうとする。まあ当たり前のことだ。ルワンダもウガンダもしょせんは外国だ。そこで怒ったルワンダはまた別の反政府組織(RCD)とむすびつき、内戦をけしかける。カビラはいつの間にか暗殺されている。
次の大統領はカビラ息子。しかしこいつもツチ族ルワンダと仲良くしてくれないので、カガメ・ルワンダはさらなる反政府組織(M23)を支援して、コンゴ政府に畳みかける。さらなる内戦。

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こうしてルワンダが手を変え品を変えコンゴ(民)に介入するのは、虐殺関係者やフツ族たちを深追いしているというのもある。けれど、それだけじゃない。コンゴには資源がねむっている。レアメタル、ダイヤモンド、その他もろもろ、規模は数千兆円だ。だから、アフリカ諸国だけじゃなくって、先進国もコンゴの資源をねらっている。先進国にとってルワンダは、資源確保のためのちょうどいい糸口になる。
かくしてコンゴへの足掛かりがほしいアメリカは、背後でルワンダのツチ政権とむすびつき、ルワンダのコンゴ介入を黙認。最近じゃあやっと、国際社会でルワンダの介入が問題になって政府援助を止めるという話になったりもしたらしいが。
ルワンダにとっても、コンゴは利権だ。ツチ族支配を維持するために、フツ族の虐殺の残党が根深く居座るコンゴは放っておけない。

まあとにかく、長くなってしまったけど、単純化するとこういうことで、コンゴはデカいし複雑すぎるし、ツチ・フツの対立は根が深すぎる。その背後に縄張り争い中の先進国が張り付いているから、余計めんどうだ。

コンゴには今は行かないけど、いつか行ってみたいと思っていた。それは、アフリカ音楽の発祥の地といわれる場所で、今でも素敵な音楽があるって聞いたからだった。
コンゴについて知ることなんてそのくらいで良かったのかもしれない、ほんとうは。
私はルワンダの過去のみならず、その背後に広がる空間にまで手を伸ばしてネットサーチしてみて、それは一体何になるんだろう?

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「僕は自分の目で見たものしか信じない。けど、この目で見たものならどんなばかげたものでも信じるよ」って、スナフキンが言ってる。

どこかに行っても、自分の目で見えるのはその一角に過ぎない。たとえそこに住んでいたって、そこで生まれ育ったって、ほんとうのところは全部のことをわかることはできない。ましてや、過去にそこで何が起こったか、誰が生きていたか、何をしゃべったか、そんなことは、誰かの残したものや誰かの作ったものを信じて、想像するしかない。
だけど、目に見えないものを信じることはおそろしいことだ。だって、そこには常に、誰か・何かを信じることが含まれているからだ。

そこにあった過去を想像するのは、覚悟が必要だ。自分の目で見ていない何かを、信じるのには、勇気が必要だ。
たとえ旅をして、何かたしかなものを自分の目で見たとしても、最後のところは、見ていないものを想像して、誰かの伝えることを信じて、そうやって「知る」を繰り返し、自分の内・外にある世界を作っていくほかない。

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自分をふくんだ世界を作るのは、そういうちいさな覚悟と、勇気の、果てない積み重ねなのだと思う。
そして、自分が見た「現在」をゆたかにするということは、自分が見ていないものや、自分が生まれていない過去を、想像するための鍵のようなものなのだろう。

旅人はたぶん、行く先々でたくさんの鍵の束を渡されていて、でもその扉の向こうに茫漠と広がる空間については、作用する資格を持たず、それでも、想像することくらいはできる。それは実は大変なことなんだけど、その先にあるものを、想像して、信じて、自分の世界の中に加えるという、そういう勇気を、試されているのだと思う。
それは私たちがしょせん観察者であったとしても。

私はたぶん、あのブタレのコーヒー屋で扉の前に立ってしまっていて、それは、虐殺記念館で嗅いだミイラのにおいが、コーヒーの香りの中でどうしても消えなかったからだ。

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結局ルワンダのこともコンゴのこともふんわりとよくわからないまま、2年が経って私はここで、観察される側になっている。「日本は、寿司がおいしいのでしょう(コンゴは、いい音楽があるのでしょう?)」「子供たちは、学校に行けるの?(ルワンダは、民族対立があったのでしょう?))
私はため息をこらえて答える。「寿司はおいしいけど、毎日は食べません」「日本は、就学率ほぼ100%です」「ゆたかです、一応」「民主主義国家です、一応」「たくさんのひずみがありますけど、体制上は、あなたの国と同じように」「歴史のことは、話すと長くなります」
同じように扉の前に立っているおばさんに、私は何を伝えて、何を信じてもらうのがよいのだろうか。

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旅をするには、勇気が必要だ。
それは、汚いバスに乗り込む勇気とか、両替商と戦う勇気とか、ゲテモノを食う勇気じゃなくて、目の前の町を見る勇気。その町の昔と、隣町のいまを、想像する勇気。

「時間と、空間。ルワンダを知ることは、コンゴを知ること。コンゴを知ることは、ルワンダを知ること。」
そう日記に書いてから、2年が過ぎてしまった。それが、反省。

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※空間的広がりといえば、ブルンジのことがあるけど、それはまた、別のはなし。

※ルワンダのはなし
野次馬の資格(2013.3.10)
国民性(2013.3.10)
Memory and sequela of red-soil(2013.12.22)
※ブルンジのはなし
Twins, your other half(2014.1.5)

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