ベトナム1

ニャクニョク!!とすごい剣幕で何かしら断られ、それは街路に出た露店の大釜を覗き込んでいた私に対する完全なる拒否であったにもかかわらず、私はそれさえもなんとなく幸せな気持ちだった。

埃と糞尿の入り混じった街路のにおいはすっかりしずまり、停滞した風が夜のにおいをかぶせ、しかし露店から立ち上るのはまだ熱っぽい湯気で、この町の熟した夜感が、それだけで私をシュワシュワと泡のように満たしていく。

ここは、たくさんのなんとなくで構成されている。なんとはないにおい、なんとはない気持ち、なんとはないワクワク、ときめき、夜のちょっとだけ悪い風。私の表皮を取り囲むたくさんのなんとなくに研ぎ澄まされて、私はやっと、確固としたものを見つける。それは記憶だったり、言葉だったり手触りだったり、いや単純な喜びだったりする。

ベトナムはハノイ風つけ麺をあらわす「ブンチャー」というものに興味をひかれて夜の街に歩き出したものの、肝心の単語「ブンチャー」を忘れてしまった。仕方なしに、しらみつぶしに街角の大釜を覗き込んでいたら、激しい勢いで叱られたというのが冒頭のニャクニョク!!だ。

大釜の中には明らかにスープが煮えたぎっており、近くには刻んだささみ状の鶏肉がある。ここは確実にフォーガー(鶏のフォー麺)屋さんであるのにも関わらず、そこの小母さんが「フォーガー?フォーガー?」と馬鹿の一つ覚えで繰り返す私を完璧に追っ払ったのは、なんだろう、単純に通じていないのか嫌がられたのか?それとももう店じまいとか?

 

こんなこともあるよなあ、と私は車道に降りた。側溝に泥っぽい水が溜まっているが、夜闇に沈んでその粘度はたしかではない。私の鼻はその側溝にドブのにおいを探し、かすかに見つけてふっとほころぶ。ベトナムの夜の街の、夜っぽいにおい。

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角を左に曲がって小さな路地を入ると、白い逆光にこうこうと照らされた小母さんが、道に座して煙草のボックスを積み上げている。小母さんの後ろの光のもとに、ふたたび大釜を見つけた私は、フォー?と聞く。までもなく黄色いのっぺりした看板に、「フォー・ガー」と書いてある。

大釜を覗き込むと今度の小母さんはにこやかに笑ってどんぶりを取り出す。ついでに5万ドン札を取り出す。250円だ。もらった。

ラッキョウの柄やエシャロット、アサツキなどのネギ類の乗ったネギだくフォーは、出汁がさっぱりあざやかで、ううんとうなる私を道にじかに置かれた扇風機が吹き飛ばす。ゴオッというこぎみよい音。ふくふくと満腹感がふたたび泡のようなたしかな幸せを連れて、よし、ここまで書いたら私は腹を出し、ムーミンのように仰向けになってベッドに寝転がろう。

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