旅の反省文(その7)

旅人の資格7.正直になること

「生活と暇を与えても人は考えない。彼らのやることはレジャーかセックスです」と池田晶子が言ってます。
考える人は金と暇がなくても考えるし、考えない人は金と暇を与えても考えない。

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アフリカの旅11ヶ月は、言っちゃあ武器を増やす旅だった。

泥だらけのバックパック。テント、寝袋、マット。を、担げる肩
埃まみれTシャツ(甲冑)に両替商と喧嘩する権幕()に、マラリア薬に。
周囲には、私を守ってくれる現地のおばちゃんたち。
アフリカ全土にわたる中途半端な知識、表層を泳ぐ思考。うそかまことか、共感と理解。
荷物そのものは15㎏でも、なんかもっと重いものを背負って旅をしていた気がする。

アフリカを終えてヨーロッパに入っても、しばらくは何か戦いの後の後遺症のようなもので、ぼんやりとしていた。

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かの大陸で見てきた景色が色鮮やかで忘れられなかったというのもあった。
しゃべったきたおばちゃんたちが優しくてあたたかくて、近くて、その距離感が忘れられなかったというのもあった。
ねっとりとした空気感と、野菜くずの腐ったにおいがヨーロッパに欠けていて、生活感がなかったというのもあった。

でも何よりも私は疲れていた。疲れていて、それでも、背負ってきた荷の重さに、そしてその荷の残した鋼のぬくもりに、私はとらわれていた。
背中はまだ、あの荷を欲しているのだろうか。
あれほどの不安と疲労を抜けて、私はまだ、戦場に戻りたいと思っているのだろうか。
戦わないと生きているという感覚が持てなくなるのは、病だ。

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それでもまだ、戦わないといけないような感覚を抱いていた。
私は、30前後の時期に、同世代が仕事や家庭や育児に、認められよう育て上げようと働いているのを横目に、たいへん刹那的な、享楽的なレジャーを時間をかけてやっている。それがずっと後ろめたさかった。
私は私で、大変な思いをしてきたと、言えないならばこれは、気まずい。
旅に目的なんて要らないけど、でも、少なくとも修行でないといけない。後ろめたさは、ある種の焦りに変わる。

だからヨーロッパに行っても、西欧に飽き足らず、バルカン半島をねちねちと回っていた。果てしない飢餓のような求道感をしずめようと、必死になって。
だけど私はもう、気づいていた。
パワーアップしていく旅をするのは、きりがない。アイテムを増やしても、楽しめなければ仕方ない。だって
神龍に来てほしいわけじゃない。

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誕生日の夜、セルビアからマケドニアに行く夜行列車に乗って、日記に書いた。
「感動を失いつつあるのを、取り戻すことができるのか?
そう書きながら、取り戻したい、と思った。

感動を、取り戻したい。
私は旅をすることへの社会的な後ろめたさのために、楽しむことを犠牲にしているけど、それって別に、誰も得しないよね。

電車は暗闇を切り裂いて南下していた。私は目を閉じてひとり、夜のしずけさの中にしずんだ。レールの軋む音。
正直になろう、と思った。楽しむことに、資格なんて要らない。

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「生活と暇を与えても人は考えない。彼らのやることはレジャーかセックスです」と池田晶子が言ってます。

その何が悪いのだろうか。
私はきわめて怠惰な人間なので、怠惰な人間であるということを受け入れ、考えない側に回
ろうセックスはあれですが、レジャーとグルメをメインに、これからラテンの国々を楽しく旅して生きていこう。
むりして考えなくてもいいし、考えてる人たちと同じことをしないと後ろめたいと思わなくてもいいし、後ろめたさ余って
人間の生きる意味とかそういう果てしないことを考えてなくても、よいのだ。思考を閉じて感性をひらこう。

どのみち、ヨーロッパ最後の夜に深酒をして、カメラと一緒に思考能力を失っていた。場面は転換し、飛行機はユーラシアからカリブ海へ入る。
「心をやわらかくしよう」私は日記に書いた。泣いても笑っても、次はキューバだ。ラテン編の、はじまりだ。

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ということで、前半(アフリカ編)はけっこう武闘家的な旅人でしたが、後半(ラテン編)は僧侶的な旅人になっていきました。僧侶は僧侶で、ある意味、求道的な旅でしたが。
旅人の資格はあと5つ。

※アフリカ後遺症の話
混沌を愛する(2013.12.26)
※バルカン半島の話
秋バス(2014.1.28)
酒を飲んでもコソボ人(2014.2.7)
おわり(2014.2.14)