新春とんち

日本で元旦を迎えるのは実に8年ぶりだった。

IMG_9929 - コピー 2015.1.1 Barcelona

大事な友人が一時帰国したというので、カウントダウンがてら飲んできた。多幸感があり、それはどこからくるんだろう、って考えて、元旦をねむる。初夢をけむにまき、現実をたべてまぶたをひらく。

初詣してハシゴして、朝の9時に飲み屋を出たとき、かーっとまだ新しい太陽が、通りを橙に照らしていた。
そのときはっと、この1年間むにゃむにゃと思っていたことの、答えというか一つのあり方が見えたような気がした。帰る場所とは居場所であり、居場所というものは自分が居場所だと思えば居場所なのだろうなと。

居場所を作らないようにしていたのだろうなと思う。
身軽になりたい時期というのはたしかにあって、私はたぶんそれが長かったのだけど、身軽になることでより本質に近い場所に身を置けるような気がしていたのだ。自由と孤独はセットで、孤独の闇の中に研ぎ澄まされる思考がある。うん。それはきっと嘘ではなくて、しかし、私たちが対峙するものはそれだけではないのだ。

1年の頭に立てたとんちのような問いが1年経ったところで解ける(ような気がする)っていうのはなんて、なんていうことなんだろうなあ。
・圧倒的なもの。絶対的なもの。きちんと人生を生きていくということ。
・やさしさについて。人と違ってもいいのだということについて。
・場所はそこにあるのだということ。

まだ新春の酒が抜けてないけれどそれでもよい。生まれ変わった気すらする(それはうそ)。
今年はきっといい1年になる。そんな風に酒占いが言ってる。

IMG_8343 2016.1.1 Tokyo