Bangladesh010-Dhaka

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Cooped-up in Dhaka / ボンボン・ディアスポラの憂鬱

4年前に初めてやってきたときから仲の良いバングラデシュ人の友人たちに、ボンボン・ディアスポラ連中というのがいる。
バングラデシュは独立してからまだ40年余の若い国だ。独立戦争の英雄世代は日本でいう団塊の世代で、彼らは国を作ったという自負を持って政官財界を回している。つまりバングラの富も人材も彼らが独占しているというわけだ。その富をもって、彼らは娘息子たちをイギリスに留学に出す。ある者はそのまま外に住みつき、ある者はディアスポラとしてバングラに帰り、中古車輸入か不動産ビジネスを始めて荒稼ぎする。

その娘息子世代がちょうど私と同世代の30前後だった。ひょんなことから一人と仲良くなるとその背後にあるアラサー・ディアスポラ世代の世界と芋づる式に仲良くなることになる。アメリカ人主催のホームパーティーなんかに行くとその中の何人かに出会う。ダッカは狭いからねえ、と、お決まりの挨拶。酒を飲む者もいれば飲まない者もいて、みな一様に、よく歌いよく踊る。
ICDDRBとか国際機関のインターンで20代の欧米人がダッカに来ると、彼らがダッカの流儀を教えてもてなす。新しいモダンなカフェができると彼らが発信する。たいていオーナーは外国帰りのボンボン・ディアスポラ仲間だ。

誘われてコンサートに行くと、90年代とか2000年代の欧米ビルボードチャートを飾った古くさいロックに彼らが喜び勇んで踊っているのを見る。ノンアルコールなのに、オアシスとかニルヴァーナとか果てはボンジョヴィまで、どうしようもなくダサいロックに思い出価値を付加して歌っているのを見る。
そしていつしか私は気づくようになる。ダッカに帰ってきた彼らは飢えている。あの広い世界に、あの輝く青春に、あの自由に、あの不安定さに、彼らは飢えている。
PhD取りに外国行こうかなとひとりが言う。俺ももう弁護士やめようかと思ってるんだよ、ともうひとりが答える。この街の窮屈さに、この街の保守性に、窒息しそうになりながら、この街のぬるさに、この街の気楽さに、この街の安定に、足を取られて動けない。どのみちもうすぐ結婚するのだ。どのみちもうすぐ家を継ぐのだ。どのみち僕らはここに戻ってくるのだ。私は痛みに似た共感をもって、彼らと一緒にノンアルコールのコンサートに歌う。諦めと前進はコインの表裏だ。どのみち私も東京に戻るのだ。

2015.1.23